ペーパードライバーで恥をかいた社会人1年目。私の購入した記念すべき最初の愛車は、日産渾身の力作「スカイラインR32型」でした。
ハンドリングおたくも納得する操縦性能と、どこまでもご機嫌なエンジン。勢い余って高速道路でパトカーを追い越してしまったのです・・・(文中敬称略)
銀行に入ったらペーパードライバーのため集金免除?
バブルの絶頂期である平成元年(1989年)、富士銀行(みずほ銀行の前身)に入行した私はペーパードライバーでした。
車の運転に大きな不安を抱えていた私は、新人の仕事とされていた集金業務を免除されました。
正確言えば、運転テストに失格となり、車を使った外訪が禁止されたのです。運転ブランクの大きさにショックを受けました。
負けん気の強い私は、原付バイク(スーパーカブ)にまたがりながら叫んでいました。
「今年中に車買うぞー!絶対に!」
・・・そんな経緯を ペーパードライバーのまま銀行に就職したら集金業務を免除されました に書きました。
社会人1年目に新車スカイラインを購入した
そして宣言通り、その年の12月に(ローンを組んで)クルマを新車で購入したのです。
富士銀行が属する「芙蓉グループ」メンバーは日産自動車ではあるものの、そういった事情は全く無視してフラットな目線で最終的に選んだクルマがこれ!
1989年5月発売の 8代目 日産スカイライン(R32型)!!
キャッチコピーは「超感覚」スカイライン!
16年ぶりに復活した「GT-R」も大きな話題を呼んだのがR32型モデルでした。
スカイラインR32型の評価はGT-Rだけじゃない
話題を独占した「GT-R」のインパクトに押されながらも、実は「GT系」モデルもまた、ジャーナリスト他に大絶賛されたNISSANの渾身の力作でした。
当時の日産自動車は、90年代に技術世界一を目指す「901運動」を推進。下のリンク記事を読むと、気合の入れ具合がよく分かります。
・・また、当時日産は、90年代に技術世界一を目指す「901運動」を推進していました。
技術陣はポルシェやベンツに追い付け追い越せで、燃えに燃えていたと聞き及んでいます。
そして「個性明快フォーメーション」と「901運動」の2大戦略によって、R32スカイラインは高級感や居住性にとらわれることなく、走行性能の向上に注力することができたのです。
全員一致で大絶賛のハンドリング
GT系のスカイラインに関しては、超辛口で知られるカー雑誌の覆面座談会においても、珍しく全員が絶賛でした。
その座談会でドライバーが言ったこと。
「特に、ノンターボ・ハイキャスなしのGTSのハンドリングが素晴らしい。自分と一体化したかのように思い通りに動くので運転が楽しい。」
このコメントを受け、私は一番人気のターボ付きGTSーtでなくGTSを選択しました。
実際、もう運転が楽しくなってしまい、毎週末にはドライブに出かけるようになりました。
峠道のパニックを救ってくれたスカイラインくん
ある日、箱根で下りの峠道を攻めていた途中、スピードを出し過ぎ、カーブで減速しきれずに外に大きく膨らんだことがあります。
「あぁ!死ぬ!!」
と一瞬パニックになり急ハンドルを切りました。
スカイラインは後ろ足をピタリと踏ん張り、イメージ通りにノーズを旋回させて、ぎりぎり対向車との衝突を回避しました。
もし今乗っているミニバンだったらきっと、ガードレールを突き破って谷に落ちるか、対向車に正面衝突して大事故になったことでしょう。頼もしい相棒でした。
警察が嫌味を言うスカイライン
そんな「走り」のイメージが強かったR32型のスカイラインは、警察にも目をつけられました。
長野方面から東京への帰り道の関越自動車道。”長い長い”関越トンネル※を抜けた後のことでした。
当時の上り方面はまだ片側1車線で、トンネル内は大渋滞になっていました。トンネルを通り抜けるのに数時間かかるのもザラだった!?
※関越トンネルは当時、日本で最長の道路トンネルでした。(知らないうちに山手トンネルに抜かれて2位になってる・・・)
利根郡みなかみ町の谷川岳PAと、南魚沼郡湯沢町の土樽PAの間にあり、全長は上り線が11,055m、下り線は10,926mで道路のトンネルでは日本最長だったが、2015年3月7日に首都高速中央環状線の山手トンネルが全線で開通したのに伴いその座を明け渡し、2018年現在はそのトンネルに次いで2番目、世界でも17番目という長大トンネルでもある。ただ、山岳道路トンネルでは依然として日本最長を維持している。
関越トンネル Wikipedia より引用
私が関越トンネルを通り抜けたのは夕暮れ時で、ほとんどの車がライトを点灯し始めていた頃でした。
ようやくトンネルの大渋滞を抜けて2車線になったところで、私は右車線に移りました。
そして一瞬アップライトにして前方を確認すると、左側をノロノロ進む車の列を一気に追い越しました。
スピードメーターは時速180kmのレッドゾーンに・・・
一気に左車線の車列の先頭を追い越して左車線に戻ると、なんと!! その追い越した列からパトカーが現れました。
パトカーに止められた・・・
私のスカイラインの後ろで意気揚々とサイレンを鳴らし始めた白黒パトカー。赤いピカピカが眩しいですー。
「前の車、左に寄りなさーい!」
「やばぁーー。。」
スピーカーホンで呼ばれた私がクルマを路肩に寄せて停車すると、パトカーから警官が二人降りて寄ってきました。
「お前! 今何キロ出してた!?」
「ひぃぃ! スミマセン!」
「180Km出してた」なんて口が裂けても言えません。私はいきなり謝るしかありませんでした。
「お前、アップライトにしてパトカーがいるのを確認しただろ!?」
「!?」
(そ、そこか!?)
話が予期せぬ方向へ・・・
どうやら、前方を確認するためのアップライトが誤解されて、私がパトカーを煽ったと思われているようです。ピンチです!
「お前さ、こんなクルマ乗ってるからってイイ気になんなよなー!!」
警官は私のスカイラインをまじまじと眺めながら凄んできます。
「何なら勝負するか!? あぁん!?」
なにやら話が変な方向へ向かっています。。
「埼玉県警をなめんなよ! ぅらぁ!」
もう、どこぞのチンピラか…ヽ(´o`;
ひたすら好青年を演じたら? 許してもらえた
私は必死で無垢な好青年のふりをして、ひたすら謝り続けました。
「ごめんなさいー! 関越トンネルが大渋滞していて、時間がなくて。。 私、高速道路を走るのがこれで2回めなんですぅ」
すると警官も腹の虫が収まってきたのか、話のトーンが変わってきました。
「君ね、あんなスピードを出して追い越そうとして、もし左から車線変更のクルマが出てきたらどうなる? 大事故だよ。 そうなってからじゃ遅いんだ」
スピードの出しすぎで運転が制御できなくなることや追い越し時の危険性を、警官は詳しく説明してくれました。
そして私の免許証を確認すると、山沿い遠くの方に架けられている看板を指差しました。
「眼鏡等の条件ありだね。コンタクトレンズかな? あそこの文字が読める?」
(なるほどー! こうやって眼鏡等条件をチェックするんだー!)
最後は「じゃあ、気をつけてね!」と言われて、そのまま解放されたのでした。
エンジンは絶好調・・・でもサヨナラの時
私はこのスカイラインを9年間乗り続けました。
途中、外装には色々と事件がありました。
- 契約駐車場でとなりの車にぶつけられてフロントドア板金修理
- バイクに当たられてリアドアを板金修理
- 首都高速道路で前方のトラックから飛び石でフロントガラスにヒビが入り交換
しかし、エンジントラブルは皆無。
燃費は無視して、1速2速で程良く引っ張る走らせ方も効いたのでしょうか、エンジンはすこぶる快調でした。
しかし子供が生まれてしばらくして、泣く泣くサヨナラしました。
4ドアセダンでありながら、リアシートとトランクが狭くてベビーカーをしまうのにも苦労するようになったのです。
下取り車として引き取られる前の夜、愛車スカイラインの運転席に座ると、様々な思い出が蘇ってきて涙が止まりませんでした。
プラモデルを確保するも製作に取り組む機会がない。
青春の思い出をありがとう、スカイライン。
おまけ(スカイラインGT-R 開発インタビュー)
R32系のGT-Rは20~30年経った今でも乗り続けている方がいるみたいですね。中古車市場でもまだ数百万円の値が付いています。
また2017年11月には、パーツを復刻生産するというニュースも出ていました。
R32型(1989年8月~1995年1月販売)の「スカイライン GT-R」を対象に、専用部品のうち走行や車検に必要不可欠な重要部品を中心に、すでに製造廃止となっている部品について再生産、再供給の検討を実施。
今回はその中からハーネス、ホース/チューブ、エンブレム、外装部品など約80部品がNISMOからNISMOヘリテージパーツとして販売され、今後はR32型のアイテム追加に加え、R33型やR34型のスカイライン GT-Rへの拡大を検討していく。