政府通達『2001年4月6日 緊急経済対策』は、21世紀初頭の銀行による過酷な「貸し渋りや貸しはがし」の背景となった「2年3年ルール」が定められた(中小企業にとっては)悪魔の通達です。(文中敬称略)
中小企業にとって試練だった銀行の「貸し渋り・貸しはがし」
20世紀から21世紀へ移るあたりの頃から、銀行による「貸し渋り・貸し剥がし」が激しくなりました。
特に2001年あたりから「貸しはがし」が激しくなったのは、政府の「緊急経済対策」という通達の影響が大きかたのです。
経済対策閣僚会議「緊急経済対策」とは、2001年の政府方針通達
銀行の激しい「貸し渋りと貸しはがし」の間接的要因となったのは、2001年4月の経済対策閣僚会議による「緊急経済対策」でした。
「経済対策閣僚会議」とは? 全ての閣僚が構成員となる経済対策会議
まず「経済対策閣僚会議」とは・・・閣僚全員を構成員とする政府の経済対策会議です。2001年~2009年(平成13年~21年)の期間では年1~3回の頻度で開催されました。
まさにその8年間が銀行の「不良債権処理問題」の山場であったわけです。
2001年(平成13年)4月6日の「緊急経済対策」の全文
経済対策閣僚会議が決定した方針で最もインパクトの強かったのが、2001年(平成13年)4月6日の「緊急経済対策」です。
▼「緊急経済対策」
出典:内閣府ホームページ
政府は金融危機を回避するために「なりふり構わず」強硬な指針を通達した
バブル崩壊の後の長い景気後退によって、20世紀の終わり頃には金融機関も深刻な経営危機に陥っていました。
- 1997年に山一證券が破綻
- 1998年に北海道拓殖銀行(都市銀行)が破綻
そして都市銀行(合併後、現在はメガバンク)でさえも、信用不安によって資金調達が困難となり、その存続に危機が迫っていました。
大規模な金融危機(=銀行の経営不安や破綻による経済危機)を懸念した政府は、思い切った指針を銀行にぶつけてきたのです。
「緊急経済対策」の方針のうち、この後の銀行の動きを決定づけた部分を見てみましょう。
政府通達の「2年3年ルール」→破綻懸念先は切り捨てろ
銀行に課されたのは「不良債権の抜本的オフバランス化」でした。
1)原則
(ア)主要行は、以下の原則に基づき、オフバランス化(債権放棄などにより貸借対照表上の不良債権を落とすことをいう。)を進める。「緊急経済対策」より引用
このケースで「オフバランス化」というのは、銀行の資産から消し去るということです。具体的な方法としては、3通りあります。
- 回収する(返済してもらう、担保を処分する)
- よそへ売ってしまう
- 債権放棄する
一般的には1→3に移るほど難易度が高くなります。3の債権放棄(=債務免除)など通常は考慮もしません。
「緊急経済対策」にはオフバランス化する期限も設定されました。
次の引用文には、期限の部分に私がアンダーラインを引いています。
a. 破綻懸念先以下の債権に区分されるに至った債権について、原則として3営業年度以内にオフバランス化につながる措置を講ずる。
b. 既に、破綻懸念先以下の債権に区分されているものについては、原則として2営業年度以内にオフバランス化につながる措置を講ずる。
「緊急経済対策」より引用
不良債権となる「破綻懸念先」の位置については下の「債務者区分」テーブルをご覧ください。
▼「債務者区分」テーブル(通常は3~5を不良債権と呼ぶ)
1 | 正常先 |
2 | 要注意先 |
3 | 破綻懸念先 (はたんけねんさき) |
4 | 実質破綻先 (じっしつはたんさき) |
5 | 破綻先 (はたんさき) |
「破綻懸念先に指定されたタイミング」によってオフバランス化する期限を定めたのです。
破綻懸念先に指定したタイミング | オフバランス化期限 |
新たに破綻懸念先となった | 3年以内 |
すでに破綻懸念先である | 2年以内 |
これが通称「2年3年ルール」です。
「2年または3年」といった制限時間のなかで成果を出すためには『回収』が最も手っ取り早い選択肢となりました。
オフバランス化の「実績公表の義務化」と「金融庁の監督強化」
政府通達「緊急経済対策」は、さらにモニタリング方法を定めました。
2) オフバランス化の実績公表と行政によるモニタリング
(ア) 主要行に対して、不良債権のオフバランス化の実績を、毎期、公表するよう要請する。
(イ) 金融庁は、上記原則に基づき、主要行のオフバランス化の進展状況をフォローアップする。
「緊急経済対策」より引用
簡単に説明すると「不良債権のオフバランス化」について
(ア)都市銀行等(=メガバンク)は毎期、実績を公表せよ
(イ)金融庁は都市銀行(=メガバンク)の進捗をフォローせよ
という報告と管理のモニタリング義務を明確にしたのです。
「実績を報告せよ」と決められたら数字で追いかけるしかありません。
銀行の各現場には「不良債権の回収金額」のノルマが課せられ、そして「貸しはがし」の激しい嵐が吹き荒れたのでした。