富士銀行の歴史において最恐ともいうべきモンスタークレーマーがいました。私が地方店の課長をしていたときに、運悪くそのクレーマーからの電話を受けることになりました。支店に「最高警戒レベル」の電話がくるかも? そのときの本部の事前の対応手ほどきも半端ありませんでした。(文中敬称略)
富士銀行が手を焼いた「山田太郎(仮名)」とは?
私が地方のA支店の融資外為課長をしていたとき、2001年頃のことです。
ある日、本部の「サービス監査室」からA支店に電話が入りました。
「山田太郎(仮名)のウェブサイトにA支店の対応について書き込みがあった。明日以降にA支店へ山田太郎から電話が来る可能性がある」
「A支店の窓口で外貨送金の手続きを行った個人のお客様が、山田太郎が運営するウェブサイトの掲示板に書き込みを行った。内容は送金を受付した担当の対応への不満だ」ということです。
この報告を受けたA支店には緊張が走りました。
常軌を逸した粘着質クレーマー
「山田太郎(仮名)」とは、富士銀行の某支店で口座の開設を断られたことから、富士銀行を攻撃するウェブサイトを立ち上げて粘着していた人物です。
- 本部の相談窓口である「お客様サービス室」に毎日欠かさず電話し数時間にわたり話し続ける
- 電話応対する同室の女性や室長の実名を、銀行攻撃のウェブサイトに晒し誹謗中傷を書き込む
- 銀行の役員の自宅の住所や電話番号等の個人情報を晒して嫌がらせを煽る
当時はまだ個人でホームページを立ち上げること自体が珍しい時代でした。
しかしインターネットの情報によると「山田太郎」は探偵業をしており、ウェブ技術にも明るかったようです。
クレーム対応の部署で退職が相次ぐ
毎日クレームを我慢して聴き続け、更にインターネットに実名と誹謗中傷を書き込まれ続けた「お客様サービス室」の担当者は退職し、やがて同室長も退職してしまいました。
注意喚起シールが全行員に配布される
全行員に「山田太郎(●●●)対応注意」(●●●は本名)というテプラシールが配られ、各自の電話機の目立つところに貼ることがルール化されました。
このようなエピソードだけを聞いても、当時の銀行の警戒ぶりがよく分かります。
本部からの対応レクチャー
そんなモンスタークレーマーの山田太郎から電話が入る可能性がある。機嫌を損ねないようにしっかりと対応してくれ・・・
本部の依頼はそういうことでした。そして細かい対応方法をレクチャーされました。
- 応対者は一人に絞る
- まずは「存じ上げております」と言う
応対する者を一人決めて、すぐにその者に電話を取り次ぐようにする。ということです。
これは私の課員が発端となったこともあり、私が代表して応対することになりました。
次の注意点としては「電話を取り次ぎする者は『存じ上げております』と言う」こと。
応対する者も『山田太郎のウェブサイトを見ていてよく知っている』ということを伝える」ことでした。
「山田太郎は異常に自己顕示欲が強いので、自分が行っている行為が知られていないことに対してはひどく腹を立てる」のだと。
クレーマーから電話が来た
そんなこんなで、本部から対応方法のレクチャーを受け(山田太郎から電話がくるであろう)Xデーを迎えたのです。
危険日の緊急朝礼
Xデーの当日、支店では臨時朝礼が開かれました。私は全員に注意事項を徹底しました。
「山田太郎から電話が来る可能性があります。まずは『存じ上げております』と言って、すぐに奥野へ繋いでください」
数年前から全行員の電話機に「山田太郎(●●●)対応注意」のステッカーが貼ってある超絶クレーマーです。
まさか自分の支店に電話がかかってくる など誰一人考えてもいませんでした。皆の顔が引きつり緊張が痛いほど伝わってきました。
山田太郎から電話が来た
そしてその日の午後、電話が来ました。私の内線電話に1階フロアの窓口後方の女性行員から連絡が入りました。
「奥野さん! 電話が来ました! 山田太郎さんです!」
私は深呼吸して受話器を取りました。
「お電話代わりました。融資外為課長の奥野と申します」
「おう!? 山田太郎だけど・・・」
電話の若干だみ声から受けるイメージは、初老の男性の感じでしょうか。
「おっ? そうか・・・知っているのか?」
「はい。 ホームページも拝見しております。 活発なご活動に、いつも刺激を受けております」
「そうか、そうか。 ハッハッハ・・・」
山田太郎が明らかに上機嫌になったのが分かりました。
「はい。 本部から連絡を受けて承知しております」
「そうか! あんな書き込みをもうされないように、キチンとサービスしなきゃいけないよなー」
「はい、ありがとうございます。 今後のサービスの改善に生かして参ります」
「そうか、そうか。 いやー、君も大変だろうけど、部下の教育をしっかりしてやー」
そんな感じで終始ご機嫌な調子で、特にトラブルが起きることもなく、山田太郎からの電話は数分で切れてしまいました。
そして以降は電話がかかってくることもありませんでした。
結局は自分が手間暇かけて作っている攻撃サイトが行員に認知されていることを確認して溜飲を下げたかっただけのようです。