2008年からアメリカのロック・バンド ”ジャーニー / Journey” のリードボーカルを務めるアーネル・ピネダ / Arnel Pineda。
彼はホームレス生活も余儀なくされる困窮生活を経て、YouTubeで発掘された「シンデレラボーイ」・・・ドラマのような出来事は映画化されました。(文中敬称略)
スティーヴ・ペリーから認められたアーネル・ピネダ
2017年4月、ジャーニーの「ロックの殿堂入り」セレモニー会場。
スティーヴ・ペリー(往年のジャーニー絶頂期のリードボーカル)と、現在のリードボーカルのアーネル・ピネダが初の対面を果たします。
スティーヴ・ペリーとアーネル・ピネダは、お互い笑顔で、ハグをし記念写真を撮っています。
セレモニー壇上のスピーチでは、スティーヴ・ペリーがアーネル・ピネダの活躍を称える、感動的なシーンがありました。
(参考: スティーヴ・ペリーは「ロックの殿堂入り式典」で何を語ったの? )
アーネル・ピネダの”シンデレラ・ストーリー”は映画になった
2008年に新たなリードボーカルを得て、人気復活を果たしたジャーニーのストーリーは2013年に映画化。
ジャーニーはアーネル・ピネダをYouTubeで発掘した
ボーカルのスティーヴ・ペリーの2度めの脱退の後のボーカルは二人続けて途中離脱してしまい、ジャーニーは低迷を続けます。
ギタリストのニール・ショーンが根気強くボーカリストを探し続けていると、フィリピンのバンド(ザ・ズー / Zoo)でジャーニーの曲を歌う「アーネル・ピネダ」をYouTubeで発見。
ニール・ショーンはアーネル・ピネダへメールを送り、スカウトします。
アメリカでのオーディションを経て2008年、アーネル・ピネダはに正式にジャーニーの新しいリードボーカルとなったのでした。
イミグレーションで歌声を披露して通過した
下の”People”という番組のインタビュー動画。
アーネル・ピネダが語る「アメリカへオーディションを受けに来たときのエピソード」が痛快です(0:42~)。
アーネル・ピネダはイミグレーションで入国審査官から聞かれます。
「君がジャーニーのオーディションを受けに来たって? “Wheel in the Sky”を知っているか?」
アーネルが「もちろん知ってます!」と一節を歌いだしたところ、審査官は驚いた顔をして「OK、OK、納得した。行っていいよ!」とすんなり通してくれた、と。
13歳で家を出てホームレス生活も
アーネル・ピネダの家庭はとても貧しく、母親が病死すると13歳のアーネルは、父親の負担を軽くするために家を出ました。
公園で寝起きし、空き瓶や新聞の回収で食いつなぎ、やがてはお金のために歌い始めます。
His family was so poor that after his mom died when he was 13, he chose to live on the streets. “My dad had other mouths to feed—I’d be a burden,” says Pineda. He slept in parks, collecting bottles and newspapers and eventually singing for money.
アーネル・ピネダ Wikipedia にはもっと詳しい困窮の状況が書かれています。
スティーヴ・ペリー世代も認めるアーネル・ピネダ
わたしは絶頂期のスティーヴ・ペリー(大好き)世代です。しかしアーネル・ピネダも素晴らしいと思います。
世代交代したジャーニー(アーネル・ピネダがボーカル)のステージ動画を見てみましょう。
まずは2008年のチリでのコンサート。このころはまだ「スティーヴ・ペリー」の歌声を忠実に再現しようとしているようにも聞こえます。
2010年あたり? この頃になると、歌声にアーネルの個性が強くなってきた印象。
困窮から這い上がったサクセスストーリーを知っているが故にアーネル・ピネダが歌う「Don’t Stop Believin’」には、心打つものがあります。
アーネル・ピネダが参加後にジャーニーが最初にリリースしたアルバム。