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私は泥酔して記憶を失ったことが生涯で3度あります。最後の大失態の際に迷惑をおかけした、銀行の(ちょっと風変わりな)先輩。彼がカラオケで歌うBEGINの『恋しくて』が好きでした。この曲を聴くと、苦い思い出がよみがえり、二度と酒には呑まれるまいと思うのでした。

 

BEGIN/恋しくて

泥酔による3回の記憶プッツン、6月15日は不吉な日?

私が飲酒で記憶が飛ぶ(=その数時間の状況を全く覚えていない)まで泥酔したのは過去3回あります。多いのか少ないのかは分かりませんが、いずれも記憶が無い状態だったこと自体ははっきり覚えています。(「覚えていない」状態を覚えている・・・何だか矛盾?)

また以下の通り、その日付も覚えています。1992年以降は全く事故を起こしていないので、この3回の失敗によって自分の飲酒の限界と適量を完全に把握したと言えましょう。

  1. 1985年4月某日
  2. 1986年6月15日
  3. 1992年6月15日

なぜか2回めと3回目は同じく「6月15日」!すごい偶然です。流行りの都市伝説風にこじつければ

198「」年「」月(1+5=「」)日 →666

」年後の「」月(1+5=「」)日→666

いずれも666の不吉な数字だ!オーマイガーッ!!

となるのでしょうが、私はそういうのを信じません。たまたまでしょう。

その1 大学生の新勧コンパ

大学に入ってすぐの新入生歓迎コンパ。「未成年者飲酒禁止法」が厳しくなった今ではもうありえませんが、潰されるまでガンガン飲むのが新入生のしきたりでした。翌朝に目が覚めたら、同期の数人と一緒に先輩のアパートで寝ていました。

 

「私、昨晩はどうなってました?」

「お前さ。寝っ転がって押入れのふすまを蹴っ飛ばしながら、
『ぼくはウーパールーパーだ!!』って叫んでたぞ。」

 

なぜ、ウーパールーパーと叫んだのかは全くもって不明です。
もしかすると前世がウーパールーパーだったのかもしれません。

 

その2 新宿コマ劇場前とションベン横丁

この日は競技ダンス部の新人戦で初めてトロフィーを獲得しました。先輩方も盛り上がり、スタートからいきなりウィスキー。凄まじいペースで一気飲みが始まりました。記憶を失うまではあっという間でした。

一瞬だけ覚えているのは新宿コマ劇場の前の『子猫物語(1986年7月封切)』の告知看板の前でゲーゲーした瞬間と、ションベン横丁の居酒屋の2階の窓からゲーした瞬間です。関係者の皆さまごめんなさい。

後から聞いた話ですが、この居酒屋に一緒にいた先輩が店の壁にパンチをして傷をつけてしまいました。お店の人いわく「これはジバンシィの壁紙だから●●万円弁償しろ!」ということで●●万円払ったそうです。GIVENCHYの壁紙を使うションベン横丁の居酒屋って恐るべしですね。

 

その3 銀行の独身寮のガラスを破壊

この日は銀行で夏のボーナスが支給されました。「じゃあ、軽く一杯行こうか!」ということで課長と課員3人で門前仲町にある支店の近くの居酒屋に行きました。それほど飲んではいなかったはずです。翌日は休暇をとっていて気を抜いたのか、体調が悪かったのか、途中から記憶が途絶えました。アルコール量が少なくても体調によっては泥酔する可能性があることをこの事件で学びました。

 

翌朝に目が覚めると、三鷹駅の近くの雑居ビルの階段の踊り場でした。手にはしっかりネクタイが握られています。

 

かすかな記憶を辿り、会社の先輩に電話をしてわかったこと・・・先輩にタクシーに乗せられてそのまま(先輩が住んでいる)銀行の独身寮に連れて行かれたのでした。独身寮のエントランスに座って汚れたシャツを脱がされそうになった時に「いやだー」と逃げ出し、入り口のガラスドアにぶつかった弾みでガラスを割り、そのままどこかへ走り去ってしまった・・・・・・私は菓子折りを持って三鷹寮へ謝りに行きました。

穴があったら入りたいくらいみっともない話ですが、この事件以来、酒は飲んでも呑まれることが無くなったのは事実です。

 

頭脳明晰だけど風変わりな先輩

私を三鷹寮へ運んでくれた先輩は年次が一つ上で、同じくバブル世代です。東京大学出身で頭の回転がバケモノ級。代々木ゼミナールの全国模試で2位なったこともあると聞きました。

歌うことが大好きで、一緒に車に乗っていると、道中ずーーっと鼻歌を歌っていました。現在のようにひとりカラオケが普通ではない時代に「一人でカラオケ店に行って歌っているよ。それが何?」という発言には皆が衝撃を受けていました

それほどの歌好きですから、カラオケもとても上手でした。特にこのBEGINの『恋しくて』が、先輩の声質ともマッチしていて最高でした。先輩はBEGINのボーカルの比嘉栄昇さんとも何となく雰囲気が似ていたので、今でも『恋しくて』を聞くと当時のカラオケの場面が思い出されます。

 

『イカ天』出身バンドのBEGIN、グランドイカ天キング

『三宅裕司のいかすバンド天国』(公式略称『イカ天』)は、私が社会人になった年の1989年(平成元年)と翌年1990年の2年弱の間に放送された番組で、爆発的な人気を得ました。1989年の『新語・流行語大賞の流行語部門・大衆賞』を受賞したことからも、当時のブームの様子がわかります。

『イカ天』は、簡単に言えばアマチュアバンドの勝ち抜き戦です。

  • 毎週10組のアマチュアバンドが登場し演奏を競う
  • 7名の審査員から演奏を終えたバンド毎ににコメント
  • 完奏できずに「ワイプ」されてしまうバンドもある
  • 10組の演奏後、「チャレンジャーバンド」を1組選ぶ
  • 前回のイカ天キング(チャンピオン)とチャレンジャーの一騎打ち
  • 5週連続でイカ天キングを防衛すればグランドイカ天キング=メジャーデビュー

 

BEGINは2代目のグランドイカ天キングでした(初代はFLYING KIDS)。土曜深夜の番組だったので、私はほぼ毎週のようにイカ天を観ていました。

しかしイカ天キングが28組出た中で今でも鮮明に印象に残っているのは2組しかありません。この『BEGIN』『たま』です。

BEGINのメンバー3人は沖縄県石垣島の出身。イカ天でテレビに登場した時は、ウチナーグチの発音を審査員からからかわれる等、正直パッとしない印象でした。しかし『恋しくて』の演奏を始めたとたんにスタジオの空気が一転。そのギャップに衝撃を受けたのを覚えています。

 

その後にメジャーデビューしたBEGINの活躍は説明するまでもないと思います。

BEGINが作曲した夏川りみさんの『涙そうそう』(作詞は森山良子さん)も有名ですね。先日台湾で乗車したUberタクシーの運転手さんは、私が日本人だと知ると、黙って『涙そうそう』のCDをかけてくれました。

BEGIN自身が歌う『涙そうそう』もあります。夏川りみさんとはまた違った味があって、オススメですよ。

 

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