元号変更に係る事務 | 銀行の退行時刻、点検当番と時間外管理の特殊性と実情。銀行の営業店では必ず22時に建物の外に出て施錠しなければいけません。そのための点検当番が輪番制で巡ってきます。客観的に見れば可笑しなことが多いのが実情。
元号が変わると契約書はどうなる?
富士銀行(みずほ銀行の前身)入社は平成元年(1989年)。1989年のスタート1週間は「昭和64年」で、平成に元号変更したのは1月8日からです。
なにせ60余年も続いた昭和です。日付欄に「昭和」と印刷された白地の契約書のストックが大量に残っていました。その在庫帳票はどうしたと思いますか?
「思い切って全量を処分して、すべて作り直しだろー。バブルだし。」
という予想も多いかと思います。
しかし実際にはそのまま元号を修正して使い続けました。
「平成」の文字の下に「=」の取り消し線をつけたゴム印を作ってペタペタ押しました。借入の契約書であっても、「昭和→平成」の元号変更には訂正印が不要というルールになっていました。
ただし、今回の元号変更では訂正印の要否がどうなるかはわかりません。当時に昭和元年と書類が混同する可能性はほぼ皆無でしたが、平成元年の書類だとそうはいかないかも。
輪番制の点検当番
契約書を始めとする重要書類、お取引先の重要情報、そして何より多量の現金を支店内に保管する銀行は、「施錠」に関して並々ならぬ注意を払っていました。
毎日退行(退社)時には、すべての机、キャビネを施錠する必要があります。書類は何一つ出しっぱなしにはできません。机の上に筆立てを置く程度はかろうじて許されますが、基本「何も置くな」です。朝と晩は毎日まるで引っ越し直後のオフィスのようです。
そういった毎日の施錠を完全に行うために「点検当番」という役割を設けています。
「点検当番」は男性行員の輪番制で月に何度か回ってきます。また課長代理や課長には「金庫当番」の輪番制があります。
点検当番の実際
入行してしばらくすると、最初の点検当番が回ってきました。当然やり方がわからないため、先輩が一緒について回って点検ポイントを教えてくれます。
「じゃあ、まずは1階の営業フロアからね。」
”点検当番日誌”と”点検項目チェックシート”を抱えて先輩の後を追いかけます。
「ロビー。吸い殻が残ってないか確認!」
先輩は、ロビーのスタンド灰皿のフタを開けて中を覗きます。
「ロビーのドアと窓!‥応接室の窓とドアー!、金庫のドアにフロアの入口ドア!」
歩きながら次々とチェックしてきます。階段を上がっていくと、大会議室、食堂、更衣室や休憩室が並んでいます。
「はい、奥野。ここチェックしてきて!」
「えっ?ここは女子更衣室と休憩室ですよ。」
「わかってる。でも窓があるだろ!ちゃんと閉まってるか確認しなきゃ。」
「はい。。う、うおっ!?」
日中は決して足を踏み入れることの出来ない禁断の園に入ると、ストッキングとデオドランド剤と香水とが入り交じった何とも表現しがたい香りに包まれ、めまいがしました。目を白黒させながら女子更衣室から出てきた私を見て、先輩はケラケラと笑いました。
「強烈だろ!?でも避けたらダメだよ。ここはよく窓が開いたままだからさ。」
最後は1階の通用口で警備作動システムをロック状態にして退行完了です。翌朝は鍵を持って帰った点検当番が朝一番に出社して通用口の解錠を行います。
絶対に越えてはいけない時刻
ある日のこと。とにかく全員が最終退行時刻のギリギリまで仕事をしています。その日はことさら集中モードに入っている人が多く、点検当番だった私は時刻を気にして焦っていました。最終退行時刻は22時と定められていました。
「退行10分前でーす!準備を始めて下さーい!!」
大声で叫ぶとようやく皆が手を止めて、バタバタと書類を片付け始めます。あちらこちらでバタンバタン・ガチャガチャという音が鳴り渡ります。
「あと6分でーす!!やばいです。急いでくださーい!!」
私は、1階2階の営業フロアを叫びながら走り回り、同時に施錠関係をチェックしていきます。3階に駆け上がり、食堂や禁断の園をざっとチェックした後、自分のデスクに戻りカバンを掴むと通用口へ走ります。通用口には先輩方が集合しています。
「奥野!あと2分!!急げ!鍵!!」
息を切らせながらセキュリティ確認ボックスに鍵を差し込んだ私は血の気が引きました。
「ランプが消えてます!!どこか開いてます!」
そう、セキュリティ確認ボックスには場所ごとのランプがあり、閉まっていないドアがあるとランプが消灯したままになるのでした。
「これは、1階のドアだ!」
「まかせろ!」
先輩二人が猛ダッシュで確認に向かいます。
「点灯しました!OKです!!」
戻ってきた二人と一緒に表へ走り出ると、通用口を締めて警備作動システムをオンにします。ビー・ビー・ビーーーと音を立てて警備オンとなりました。
「今何時だ?」
「22時3分です。」
「まずいなー。」
通用口で待っていた10人ほどの先輩たちは落ち込んで言葉を発しません。気まずい静寂が流れます。
「22時過ぎるとどうなっちゃうんですか?」
たまらず私が質問すると、先輩はため息をついて言いました。
「わからない・・実際に超えたことはないから・・まずいのは確かだ。」
そして、みな不安を抱えながら帰途についたのでした。
翌朝。。
副支店長の怒号が店内に響き渡りました。
「昨日の点検当番は誰だ! 10時を超えただろ!!」
本部から副支店長に連絡が入ったのです。退行時の施錠時刻は自動で本部に送られ、退行時限を超えるとすぐに人事部から連絡がくるとのことです。
「もー!協定があるから10時を超えると調整が大変なんだよ・・」
副支店長はため息をつきながら別室へと入っていきました。
タイムカード、何それ?
ちなみに銀行にはタイムカードがありません。入行したバブルの頃から、少なくとも転職した2006年まではありませんでした。すべて勤怠管理表に手書きして”自己申告”することになります。
当時は朝8時前から22時まで勤務がデフォルトでしたが、勤怠管理表の勤務時間は「実態の1/5程度の水準」で記入して提出することが暗黙のお約束となっていました。少し多めに記入すると「まわりに聞いてバランスをとれ!」と差し戻されたものです。
ビバ!!
入行年の翌年1990年には「水曜日は早帰り日とする。19時までに退行すること。」というルールが出来ました。銀行は1988年までは土曜日も出勤日でしたが、1989年4月から完全週休二日制に移行していました。徐々にではありますが、労働時間改善の動きは進み始めていたのです。
通称、「VIVA!ウェンズデー」!
毎週水曜日には「みなさ~ん、今日はビバなので7時までには出て下さーい!」と点検当番が叫び回ることになりました。ルール発表の当時は「7時になんか帰れるわけないじゃないかー!」と非難轟々でした。しかし実際導入されてみれば何とかなりました。
そんなもんです。
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