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「音楽が死んだ日」とフィデル・カストロも愛用のメキシコFAOSA。真っ先にロックの殿堂入りしたバディー・ホリー、大好きでした。彼のトレードマークと言えば黒縁の尖ったメガネ。キューバのカストロも愛用していたメキシコのFAOSAというブランドのZafiroというモデルです。実は、まだこのモデルは販売しています。バディー・ホリーとオールディーズの想い出とともにご紹介。(文中敬称略)

50’s音楽の流星、Buddy Holly が大好きだった

Buddy Holly & His Crickets “That’ll Be The Day” on The Ed Sullivan Show

 

オールディーズ音楽に夢中だった時期

私が高校生の時、学校から2つ隣の駅の吉祥寺に「テアトル吉祥寺」という名画座がありました。この映画館は、1980年オープン時は(当時としても珍しい)名画座の新館で、しかも(当時はロードショー館でも完備されていなかった)Dolbyステレオやボディソニックシートを設置。料金もリーズナブルで素晴らしい映画館でした。

ここで、ウェストサイドストーリー、ジェームズ・ディーン3部作、ビッグ・ウェンズデー といった往年の名作映画を鑑賞しているうちに、1950年代~1960年代のカルチャーへの関心が強くなっていきました。

ウェストサイドストーリーに感化された影響もあり、大学に入ると競技ダンス部に所属していました。”パーティーダンスの華”とも言える「ジルバ」は競技の種目ではありませんでしたが、アルバイトでダンスパーティーへ参加したり、企業へパーティーダンスを教えに行ったりすることもあり、ジルバでよく使われるオールディーズ音楽に引き込まれました。オールディーズの中でも、とりわけ夢中になったのがバディー・ホリーでした。

バディ・ホリーではないけれど、ジルバむきのミュージックの定番といえばこれ ↓

Bill Haley & His Comets- Rock Around The Clock

 

ビートルズへも多大な影響を与えた

私が中学の時からジョン・レノンに傾倒していたのも、バディー・ホリーがお気に入りとなった一つの要因です。バディー・ホリーは「実質2年間」の短い活動期間で後のミュージシャンに大きな影響を与えました。たとえばビートルズで言えば、「ビートルズはクリケッツ(バディー・ホリーのバンド)のまねから始まった」とポール・マッカートニーは語り、実際にビートルズの前身のクオリーメン時代にはバディー・ホリーの曲の多くをレパートリーに取り入れていました。またBeatlesという名称そのものも、バディー・ホリーの影響を受けています。

「BEATLES」という名称はジョン・レノンとスチュアート・サトクリフが考えた造語である。ジョンの証言では、この名前が考案されたのは1960年の4月で、バディ・ホリーのバンド名「バディ・ホリー&ザ・クリケッツ」のクリケッツにあやかり、昆虫の名前で同じように2つの意味を含んでいる言葉としてビートルズを、映画『乱暴者』から思いついた。

ビートルズーWikipedia より引用

 

ロックの殿堂入り第1期10人の一人

1986年に創設された「ロックンロールの殿堂」。バディー・ホリーは最初の受賞者10人のうちの一人に選ばれました。ちなみにその受賞者10人とは次のとおりビッグネームが名を連ねています。

  • チャック・ベリー
  • ジェームス・ブラウン
  • レイ・チャールズ
  • サム・クック
  • ファッツ・ドミノ
  • エヴァリー・ブラザース
  • バディ・ホリー
  • ジェリー・リー・ルイス
  • リトル・リチャード
  • エルヴィス・プレスリー

 

航空機事故で死亡、享年22歳

1959年2月3日、バディー・ホリーがツアー後に搭乗したチャーター機が吹雪のためトウモロコシ畑に墜落。ホリーは、まだ22歳という若さで帰らぬ人となりました。

 

音楽が死んだ日(The Day the Music Died)

墜落した航空機には、バディー・ホリーの他に二人の人気ロックンローラーが搭乗していました。

  • リッチー・ヴァレンス(Ritchie Valens)
  • “ビッグ・ボッパー” ジャイルス・ペリー・リチャードソン(Big Bopper)

一度に3人ものスターが亡くなった墜落事故が起きたこの日は「音楽が死んだ日」(The Day the Music Died)と呼ばれています。

後に、ドン・マクリーンがこの悲劇を題材にした楽曲「アメリカン・パイ」のなかで、この出来事を「音楽が死んだ日」(The Day the Music Died)として歌いあげ、この呼び名が定着した

音楽が死んだ日ーWikipedia より引用

 

亡くなったロックースターの代表曲はこちら。

Ritchie Valens ー Donna

Big Bopper ー Chanitilly Lace

 

トレードマークのメガネはまだ購入できる

バディー・ホリーといえば、常に「メガネ」。そのスーツ姿とともに、後に続くビートルズ他にスタイル面でも影響を与えます。メガネをかけることを嫌っていたジョン・レノン個人への強い影響があった旨も書かれています。

ジョン・レノンは青年時代、眼鏡をかけることに強い抵抗感を持っていたが、ホリーが「眼鏡をかけたロックンローラー」として堂々と振舞っていたのを見て、人前で眼鏡をかける事を恥と思わなくなったという。

バディー・ホリーーWikipedia より引用

 

ジョン・レノンのメガネの変遷を追った力作まとめNAVERです ↓

 

メキシコのブランド”FAOSA”の”Zafiro”というモデル

冒頭のエド・サリバン・ショーの動画に出てくるバディー・ホリーは違うメガネをかけているようですが、トレードマークと言えば ↓ の黒縁メガネ

Buddy Holly ー Oh Boy!

テキサスにある「Buddy Holly Center」のロゴマークにも使用されています ↓

Home
 www.mylubbock.us 
https://www.mylubbock.us/departmental-websites/departments/buddy-holly-center/home

 

他社には「バディー・ホリーモデル」と呼び、形を似せた商品もあります。しかし実は、バディー・ホリーが使用していたメガネとズバリ同じモデルがまだ販売されています。

メキシコのメガネブランド「FAOSA(ファオーサ)」の「Zafiro」というモデルです。

 

FAOSAは1925年にメキシコシティに誕生したメガネブランド。同社のウェブサイトでは「バディー・ホリーが着用していた」旨が詳しく記載されています。キューバの元最高指導者のフィデル・カストロも使用していたとのこと。

 

日本で購入できる店

FAOSAのウェブサイトではUS$269.00で販売されていますが、日本でも購入できる店舗を見つけました。

blinc|ブリンク外苑前
〒107-0062 東京都港区南青山2-27-20 植村ビル 1F

お値段は、28,080円(税込)

こんなデザイン他にない!伝説のミュージシャンが愛した、 FAOSA|ファオーサ の眼鏡。 | アイウエアショップ・blinc|ブリンク 公式サイト
みなさまこんにちは。 10代の頃からロカビリーにどっぷりハマり、今でも50年代アメリカが大好きな、 ブリンク外苑前マネージャーの矢澤です。 今日ご紹介するのは、日本...

 


メガネ会社の役員のくせに他社の紹介だけしてたら殴られそうなので、とりあえず自社のリンクも張っておきますね。

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