美しい駅として人気の台湾・高雄の「美麗島駅」。なぜ台湾の別称が駅名となったのか? 名前の由来は雑誌『美麗島』が関係した、台湾の民主化運動における重大事件でした。(文中敬称略)
「美麗島」は台湾の別称
実は、そもそも「美麗島」は台湾の別の呼び名です。16世紀半ば以降、航海するポルトガル人が、台湾を”イラ・フォルモサ(Ilha Formosa=ポルトガル語で「美しい島」)”と称賛。その言葉が漢訳されて「美麗島」になったということです。
美麗島(イラ・フォルモサ)は実は沖縄だった?
ところが、2017年8月に「ポルトガル人が”イラ・フォルモサ”と呼んだ島は沖縄だったのではないか?」と研究者が指摘する歴史本が発表されました。
▼これがその歴史本『解碼台湾史1550-1720』・・・楽しそうな本です。日本語版が出ないかな?
名称の由来は雑誌『美麗島』が関与した「美麗島事件」
それでは、いったいなぜ高雄市のこの駅に台湾の別称である「美麗島」という名前がつけられたのでしょうか?
1979年に『美麗島』という名の雑誌が創刊。この雑誌が関与した大きな事件が高雄の地で起き、「美麗島事件」と呼ばれるようになったためです。
美麗島事件~台湾の民主化運動
後に第三代民進党主席となった政治家の”黄 信介(こう しんかい)”は、国民党に所属しながら党外活動家(=1989年以前、国民党以外の政党は非合法につき「党外活動」と呼ばれた)を支援する姿勢を強め、1979年8月に雑誌『美麗島』を創刊しました。
黄信介は、1979年12月10日の”世界人権デー”の日に高雄市内で集会とデモ行進を行うことを企画し、警察当局の許可を得られないままに強行します。
群衆と治安部隊が衝突
治安部隊が集会の群衆を完全包囲
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夜になっても散会しない群衆に催涙弾を使用
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衝突、警察も駆けつけ大混乱
国民党政府による「党外活動家」狩り
事件の後、国民党政府は全国の「党外活動家」を一斉逮捕
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逮捕された『美麗島』関係者は軍法会議で全員有罪
民進党の躍進~国民党と政権交代
1987年に釈放された黄信介は民進党(民主進歩党)の中心人物として活動
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1994年に陳水扁台北市長が誕生
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1998年に謝長廷高雄市長が誕生
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2000年総統選挙で陳水扁が当選・・・半世紀にわたる国民党独裁が終わる
<美麗島事件> 国民党が強権政治を敷いていた1979年の12月10日、反体制派の機関誌「美麗島」が世界人権デーを記念した集会を高雄市で行ったが、集まった市民らが警官隊と衝突し、関係者などが投獄される騒ぎとなった。
当時、軍事裁判にかけられた雑誌編集者の陳菊氏(現・高雄市長)や、弁護人だった謝長廷氏(現・駐日代表)、蘇貞昌氏(元行政院長)らが民進党の結党メンバー。
このように「美麗島事件」は、台湾の民主化運動の歴史において重要な位置に置かれているのです。
ウェディング業界区域
ところで、この「美麗島駅」から出口からすぐのエリアはウェディング関係のショップが多く並んでいます。
交差点の四隅はウェディングドレスと男性正装のお店が占めていたり。
結婚用品のお店も多いです。しっかり「整形外科」もあったり・・・
ここにブライダル業界が集まっている理由までは調べがつきませんでした。
もしかすると意外と”「美麗島」という名称が結婚式のイメージに合うから”という単純な理由かもしれません。