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きらぼし「合併初日にシステム障害」みずほ銀行の事故を覚えてますか

2018年5月1日に誕生した「きらぼし銀行」でいきなり初日からシステム障害のトラブルが発生。2002年のみずほ銀行の事件を思い出しました。当時のみずほの現場では、復旧目処が全く立たない中で「銀行の破綻」が脳裏をよぎりました。みずほの旧3行のシステムの比較と合わせて振り返ります。(文中敬称略)

「東京きらぼしフィナンシャルグループ」(持株会社)と「きらぼし銀行」誕生

八千代、東京都民、新銀行東京が経営統合し「東京きらぼしフィナンシャルグループ」を持株会社とする「きらぼし銀行」が2018年5月1日に誕生しました。するといきなり初日からシステム障害のトラブル発生です。「入出金、振込不能で未処理が残る」最悪の門出・・・みずほの悪夢再びか?

システム障害「みずほ銀行」のケース

2002年4月1日、統合による「みずほ銀行」誕生の初日に大規模なシステム障害が発生しました。

ATMの利用が不能となったばかりか(公共料金の引落しを含む)口座振替の処理が遅延するに留まらず、口座から二重引落しをしてしまうというミスも発覚。

収拾に長期間かかるとともに、みずほFGの社長が国会に招致される等、深刻な事故となりました。

口座振替に遅延は4月1日だけで105,000件に達し、翌日以降の積み残しとなり、連鎖的に大量の未処理が発生、4月5日には遅延数は250万件にまで膨張していった。
それに付随したかたちで、約3万件の二重引き落とし発覚し最大級の大規模システム障害に陥った。
復旧を図るも、このトラブルで顧客の混乱が長期化、1ヶ月以上も続いた。

失敗知識データベース より引用

システム障害の正確な情報がなく、現場は混乱を極めた

当時の営業店で混乱させた事態のひとつが「ATMが利用できるか否か?」が営業店によって異なり、かつ本部から正しい情報が伝わってこないことでした。

みずほ銀行のシステム障害発生の当時、私は新潟の支店にいました。

新潟は統合された3つの銀行が各々の支店を持っていたことから段階的に支店統合が進められました。

まず統合日に「第一勧業銀行(DKB)」と「日本興業銀行(IBJ)」の2つの銀行の支店のみを統合しました。

すると、「旧富士銀行(FBK)」の支店のATMは利用不可なのに、「旧DKB+旧IBJ」の支店のATMは利用ができたのです。

銀行の営業店側はこの状況を把握しておらず、お客様から教えて頂いて初めてその事実を知るという状態でした。

夕方になっても復旧目処が立たず、破綻も脳裏に

本部からは「システム障害の状況」の連絡ペーパーがFAXで流れてきます。次々と届くFAX連絡ペーパーを営業場の壁に並べて掲示していきました。

昼を過ぎて午後になっても連絡ペーパーは「復旧目処たたず」という表記のまま変わりません。そして判明した未処理件数等の数字がどんどん増えていきました。

壁一面を埋め尽くすFAX用紙を眺めながら、

「これ、相当にまずいよね ヽ(´o`;」

「本当にうちの銀行、潰れるかもしれないな・・・」

と、多くの行員がボヤいていたのは事実です。

とにかく営業店サイドでは復旧のために出来ることはありません。

ひたすらお客様からの問い合わせや苦情に対応し、ATMコーナーに交代で立ち、謝罪とご案内を続けるしかなかったのです。

システム性能が10年以上後退、あきらかに準備不足

みずほ統合前の各行のシステムの状況を解説した記事があります。表にして引用しましょう。

結果として、みずほ銀行のシステムは旧DKB(第一勧銀)のシステムに片寄せされました。富士通との取引関係を重視したためです。

「時代遅れのシステム」であったことは、合併後に旧FBK(富士銀行)行員の多くが「システムが10年以上後退した」とボヤいていたくらい体感できるレベルでした。

▼引用元:von_yosukeyanの日記: みずほ銀行システム障害とは何だったのか?
みずほ銀行システム障害とは何だったのか? | von_yosukeyanの日記 | スラド
昨年4月のみずほ銀行システム障害から、そろそろ1年である。当時は、限られた情報が小出しにされた感もあったし、ベンダーや統合行からの偽情報が氾濫していたので、ボクもいろいろ日記に書いてきたが、今から考えると相当な事実誤認な...
第一勧業銀行 システム部門は第一勧業情報システム(DKIS)で、メインベンダーは富士通(Mシリーズ、GSシリーズ)。
DKISは、基本的には親銀行の余剰人員の姥捨て山的な位置付けで、システム部門への出向は左遷を意味した。
旧勧銀系システムはIBM系、旧第一系は富士通だったが富士通側に片寄せが行われたが長い間システム統合が行われず、80年代の第三次オンラインシステム構築の際にも、相対的に遅れたシステムを現在まで使いつづけてきた。
そのため、余剰処理能力はあるものの、旧都銀のシステムの中では最も時代遅れのシステムで、DKISのシステム構築能力の低さ(事実上システム構築能力は彼らにはない)から、旧DKB系システム(STEPS)への片寄せに不満の声が上がっていた
富士銀行 システム部門は富士総合研究所(FBIR)で、メインベンダーはIBM(S/390)。
70年代から、同じIBM系システムを採用する三菱銀行と並んで極めて先進的なシステム開発で知られ、富士総研自体も地方銀行向けのシステム開発を行っている。
しかしながら、90年代後半の投資抑制からシステム開発は凍結され、統合時には相対的に古いシステムになりつつあった。
また、指定金融機関の関係から特殊なシステムが多く、システム移行を行う上ではかなりの障害が予想されていた。
システム名称はTOP
日本興業銀行 システム部門は興銀システム開発(KSD)で、メインベンダーは日立(MPシリーズ)。
元々、銀行勘定規模より債券系システムの規模が大きい特殊なシステム構成で、第一次システムはIBM系で構成されていたが、第二次システム移行は日立系で構成されている。
そのため、都銀が得意としてきた大規模な振替バッチ処理を行うキャパシティーが興銀系システム(ITIS)には存在せず、大規模なシステム改修が必要とされた。

また、下のウェブサイトの記録を見ると、統合の半年前から様々な問題が指摘され、かつ2日前のテストでもエラーが発生していたことが分かります。

これらの記載が事実とすると、みずほ銀行のシステム障害は「起こるべくして起こった」とも言えます。

02年3月22日 みずほホールディングス経営会議が開かれ、システム担当部署に大丈夫か確認したがシステム担当部署は「おおむね問題なく進んでいる」と回答したことより、経営会議でそれ以上の確認はせず、予定どうりシステム移行することに決まった。
しかし、誤った口座振替データを入力してシステム全体の負荷を調べる異常テストは「時間的余裕なし」などの理由で見送られた

失敗知識データベース より引用

失敗事例 > みずほフィナンシャルグループ大規模システム障害
科学技術分野の 事故や 失敗の 知識と 教訓

十数年前の富士銀行のシステム障害時のクレーマー

2002年のみずほ銀行より以前の大規模システム障害は、1991年か1992年に経験したことがあります。

この時もオンラインが完全にストップして、入出金や現金の引き出しが出来なくなりました。

日中に一時的に復活し、再度システムダウン。夕方~夜に完全復旧したと記憶しています。

激高したお客様に傘の先で突かれた

この日の15時以降のシャッターが閉まった時間帯に、私はATMコーナーに立って、システム障害のご案内とお詫びをしていました。

私は3、4年目のまだ若手行員です。

すると一人の若いスーツ姿の男性が私に向かって怒鳴り始めました。

「おぃ! テメエらのせいでオレは昼メシ食えなかったんだよ! 」

(昼食代くらい現金持っとけよ・・・)と言いたいところですが、そうもいきません。

「たいへん申し訳ございません」

「申し訳ないじゃねえんだよ! おらぁ!?」

お客様は持っていた傘の尖った先で私の頬をグリグリし始めました。(゜o゜;

「どうしてくれんだよー!? オレの昼メシをよー」

少し殺気を感じた私は、シャッター横の通用口を指し示して言いました。

「お客様。ここでは何ですので、中でお話しを伺います」

お客様をシャッター内の店内に誘導したところ・・・

「中に入ったら何かいいことあんのかよ!? あぁん?」

お客様は肩で風を切りながら、通用口からシャッターの中に歩いて入っていきました。

私とお客様がロビーに入ると、異変を察知した先輩の男性行員3名がすぐに集まってきました。

そして傘を持った男性を4人で囲みました。

「どうされました? お客様・・・」

すると、若いスーツ姿の男性は急に大人しくなり、すこしビクつきながら

「い、いや・・・別にいいんです・・・」

と言うと、そそくさとシャッターの外へ出ていってしまいました。

虚勢を張っているように見えるクレーマーには複数人で対応する方が良いのだなと学習しました。

現場のスタッフを恫喝するのはやめましょう

なお、こういうシステム障害のときには、営業店にいる行員をいっぱつ怒鳴りつけてスッキリするのは構いません。

しかし暴力をふるってもシステムは動かないし、何も良いことはないです・・・ヽ(´o`;

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