”学校群制度”東京で高偏差値「国立高校」野球部の甲子園は奇跡だった

投稿日:2018年8月 23日(木) 更新日:

甲子園球場のグランド

@mecha/photoAC

1980年に都立高校として初めて甲子園出場を果たし「都立の星」と称えられた「国立(くにたち)高校」。私は学区改編で受験できませんでしたが、兄がその年に在籍していました。なぜ今でも語り草となる「奇跡」だったのか、当時の学校群制度を中心にまとめてみました。

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1980年の夏、「都立の星」国立(くにたち)高校が甲子園出場

1980年の夏、東京都国立市の「国立(くにたち)高校」が東京都立高校として初めて西東京大会で優勝して甲子園出場を果たしました。

私の兄がこの年に国立高校に入学していました。まったく予定外の事態に慌てた学校側は、遠征費の捻出をするため、各家庭に「カンパ」を要請。私の家にもペーパーが来ていたのを覚えています

兄も、急造の応援団に組み入れられ、バタバタと甲子園へ旅立っていきました。

 

国立(くにたち)高校の甲子園出場がなぜ奇跡的と言われたのか?

国立(くにたち)高校の甲子園出場は「奇跡的な快挙」と言われ「都立の星」と称えられました。その背景には、当時の(細分化され受験生に選択の自由がない)「学校群制度」と、国立高校が全国でも屈指の進学校であったためです。

2004年に全国から消えた「学校群制度」・・・受験生に選択の自由なし

「学校群制度」を簡単に説明しましょう。

まず同じ「学区」内の複数の高校が「群れ(群)」を形成します。例えば、第一学区は次のような感じ。

  • 第一学区
    • 11群は「日比谷、九段、三田」の3校
    • 12群は「赤坂、城南、八潮」の3校
    • 13群は「大崎、南、雪谷」の3校
    • 14群は「小山台、田園調布」の2校
    • 15群・・・

国立(くにたち)高校は、立川高校とペアを組んで「第七、八、九学区」の「72群」となっていました。

 

学校間の平均を保つために受験生に選択の自由がない

受験生は住んでいる学区内の「学校群」の中から志望する群を選んで受験します。

志望した群に合格すると、その群の中で振り分けられます。どこの高校に行くかは本人の希望が通りません。

結果としてその群の中の高校の学力が平均化するように合格生を割り振るのです。

「人権の無視」と批判された学校群制度は、東京都では1981年に廃止。全国でも2004年までにすべて廃止されました※。(※出所:学校群制度 - Wikipedia

 

学校群が細分化された東京都

東京都は、その人口の多さから、学校群を30~40にも細分化していました。ちなみに千葉県の学校群は3つ。愛知県も20程度でした。

それだけでも、一つの都立高校に「野球が上手」な受験生が十数名集まる確率は絶望的に低いことは容易に想像ができます。

 

甲子園に一番近いと思われていたのは東大和高校

当時の都立高校では唯一「東大和高校」だけが、西東京大会の予選で決勝やベスト8に食い込む健闘を見せていました。

国立(くにたち)高校は、東大和高校の何年にもわたる奮闘も置き去りにして、まさに「突然に」甲子園の出場を勝ち取ったのです。

 

1994年、学区廃止により都立の野球強豪校も誕生する

1994年には「学区」の縛りがなくなり、受験生はどこの都立高校でも選択できるようになりました。特定の高校に「野球巧者」が集まりやすい環境になったのです。

よって1994年以降は、雪谷高校のような「都立の野球強豪校」も誕生するようになりました。

 

国立(くにたち)高校は、全国屈指の進学校

外部リンク 学校群15年史 - 1984年 72群(立川+都国立)東京都6位 には、1983年と1984年の東大合格者数のランキングが載っています。

東京都の72群(都立国立+立川)の順位は

  • 1983年 全国9位(合格者62名)
  • 1984年 全国9位(合格者61名)

となっており、都立高校内ではトップとなっています。

 

国立(くにたち)高校は、全国でもトップ10に入るレベルの進学校だったのです。

「学業成績の良い高校生はスポーツが得意ではない」とは言いません。しかし当時は特に東京西部に住む国立高校を知る人々にとって「国校(くにこう)甲子園進出!」は、「灘高やラ・サール高校が甲子園に進出してしまう」ぐらいのイメージの衝撃的な事件だったのです。

 

1982年に「学校群制度」廃止→「グループ合同選抜制度」へ

私は1982年入学の受験生で、この学年から学校群制度の廃止にともなう学区の改編が行われました。

そのため私は、兄と同じ国立(くにたち)高校を選択することができなくなりました。

なぜ私の代から制度が変わったのか? 「ひのえうま」で人数が少なかったために実験台にされたと見るのが適当でしょう。

 

当時のまだ三角屋根だったころの「国立駅」には横断幕が飾られました。

 


 
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東大のエースとなった甲子園投手市川武史氏が語るエピソード

国立(くにたち)高校の甲子園での1回戦の対戦相手は、あの和歌山の強豪「箕島高校」でした。(箕島高校は1979年に甲子園で春夏連覇)

兄が通う高校ですから当然ながら、私はテレビの生中継で試合を観ていました。4回まで両校無失点。しかし5,6回で箕島に得点を許し、結果としては0-5で破れました。

 

2017年8月、市川武史氏がインタビューに答えていた

まさか2018年夏の金足農業高校(秋田県立)の活躍を予知していたわけではないでしょうが、当時の国立高校のエース市川武史氏のインタビューが1年前に行われていました。

 

東大進学は「マスコミが勝手に書いたから受けざるを得なくなった」

市川氏は東京大学に進学して野球部で活躍をしたのですが、そのそも東大を受けたのは「マスコミが勝手に騒いだだめ」というのが理由だそうです。初耳でした(笑)

最初は東京工業大学を念頭に置いていましたが、マスコミに「市川投手は東大進学」と勝手に書かれ、なんとなく東大を受けざるを得ないような雰囲気になっていました。

NIKKEI STYLE 出世ナビ より引用

 

 

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