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ルイ・ヴィトン・ジャパン社長で注目すべきは藤井サチの父親ではない

セレブタレントとして話題の”藤井サチ”は「父親が元ルイ・ヴィトン・ジャパンの社長で超お金持ち」と騒がれています。

しかし同社の歴代社長を調べてみると、藤井氏の在任期間はたったの1年間だけ。「LVMH JAPAN 社長」と認知されるべき人物は他に存在します。(文中敬称略)

「藤井サチの父親がルイヴィトン・ジャパン社長」という情報が話題だが

最近テレビ等の露出が増えているファッションモデル・タレントの「藤井サチ」。かわいいですね。

同窓(上智大学)でもあり、応援したくなります。

そんな彼女は、”セレブなお嬢様”の触れ込みで「父親が元ルイ・ヴィトン・ジャパン社長」という話題がテレビやインターネット上で盛んに取り上げられています。

ひねくれ者の私は、こういうネタをすぐ疑ってかかり、裏付けを取らないと気が済みません。さっそくこのトピックの事実関係を調べてみました。

ルイ・ヴィトンジャパン歴代の代表取締役社長を整理する

過去のニュース等を探して「LVMH モエ ヘネシー・ルイ ヴィトン・ジャパン」の歴代の代表取締役を務めた人物を整理してみました。

LVMH モエ ヘネシー・ルイ ヴィトン・ジャパンの歴代社長リスト(1991年~)

名前在籍期間主な前職
秦 郷次郎(はた きょうじろう) 1981年~ルイ・ヴィトン・ジャパン(LVJ)初代社長 1991年?~LVJグループ社長
エマニュエル・プラット(Emmanuel Prat)1991年3月~ 2006年4月1984年~モエ・ヘネシー・ジャポン社長
藤井 清孝2006年5月~ 2007年4月2000年~2005年 SAPジャパン社長
エマニュエル・プラット(Emmanuel Prat)2007年5月~ 2013年12月復職
シリル・ヴィニュロン(Cyrille Vigneron)2014年1月~ 2015年12月カルティエ・ジャパン社長、リシュモン・ジャパン社長
エマニュエル・プラット(Emmanuel Prat)2016年1月~ 2016年5月復職
ノルベール・ルレ(Norbert Leuret)2016年5月~2006年~ザラ・ジャパン取締役兼CEO

社名は正式には「LVMH モエ ヘネシー・ルイ ヴィトン・ジャパン株式会社(LVMH Moet Hennessy Louis Vuitton Japan)」です。しかし以下では便宜上「ルイ・ヴィトン・ジャパン」と表記します。

藤井清孝の”LVMH JAPAN 社長”の在任期間は1年間だけ

上表「歴代社長リスト」を見ると分かります。藤井サチの父親である藤井清孝がルイ・ヴィトン・ジャパンの社長を務めていた期間は、2006年5月~2007年4月の1年間しかありません。

社長が1年で辞めてしまうというのは普通ではありません。会社側と何かボタンの掛け違いがあったのでしょうか・・・

いずれにせよ「元ルイヴィトンジャパン社長だから超お金持ち」と誤認させるような紹介は適切でないことが分かります。

相当な年収であったことは想像できます。しかし実は、もっと違う舞台で稼いでこられたのです。

▼参考:学生向け藤井清孝インタビュー記事▼
ルイ・ヴィトンの元社長藤井清孝さんインタビュー(前編) | グローバル・イノベーション ナビ
リーダーたるもの、大きな構造を抱け―いま、世界を動かすようなリーダーシップの重要性が注目されています。就職活動の面接においても、学生時代いかにリーダーシップ......
ルイ・ヴィトンの元社長藤井清孝さんインタビュー(後編) | グローバル・イノベーション ナビ
「シンプルの美」を生み出すために―本題に戻りますね。感覚的にお聴きします。「大きな構想」の直感的なイメージを教えていただけますか?「「大きな構想」っ......

エマニュエル・プラットが通算28年間を超えて社長に君臨した

藤井清孝がルイ・ヴィトン・ジャパン社長に就任する以前の代表取締役は”エマニュエル・プラット(Emmanuel Prat)”です。

エマニュエル・プラットは、1991年3月から2006年4月まで15年間、モエ ヘネシー・ジャポン時代から通算すれば、実に22年間の長期にわたって社長に君臨していました。

また、社長を引き継いだ藤井氏が1年間で退任すると、エマニュエル・プラットは社長に復職してさらに6年間を過ごしました。

次に社長を引き継いだシリル・ヴィニュロン(Cyrille Vigneron)が在任2年間の後にカルティエのCEOで離脱すると、またまた復職して5ヶ月間「つなぎ」を務めたのです。

通算の社長在任期間は28年を超えました。本来ならば「ルイ・ヴィトン・ジャパンの社長」として世間に認識されるべきはエマニュエル・プラットなのです。

(エマニュエル・プラットは社長退任後も取締役で在籍)

LVMHグループの日本での礎を築いたのは「秦 郷次郎」

また日本人としては、ルイ・ヴィトン・ジャパンの日本法人設立時から社長を務め、後にLVJグループの社長となるとともに、LMVHの中枢でも要職を務めた「秦 郷次郎(はた きょうじろう)」がクローズアップされなければいけません。

LVMHグループの日本での礎を築いた秦 郷次郎の功績は相当に多大なのであります。

ノルベール・ルレ(Norbert Leuret)現社長は、”ZARA JAPAN”の社長を10年

2018年11月現在、エマニュエル・プラットの後を継いで、2016年からルイ・ヴィトン・ジャパンの社長を務めているのは”ノルベール・ルレ(Norbert Leuret)”

2006年からの10年間、社長としてザラ・ジャパンを率い、ZARAの日本での躍進を遂げた人物です。要注目です。

▼ノルベール・ルレ (Norbert Leuret) 60秒トーク▼

▼LVMH JAPAN ホームページ▼

ハイクオリティブランドで世界をリードするLVMH
LVMHグループは、75の卓越したメゾンで構成されています。いずれのメゾンも、磨き抜かれたサヴォアフェールと伝統を守りながら、現代にふさわしい製品を生み出しています。

LVMHが関与するファンドが”破天荒フェニックス”オンデーズに出資

LVMHグループも出資するPEファンド”Lキャタルトンアジア”は、ビジネス小説『破天荒フェニックス』の舞台となったオンデーズ(OWNDAYS)へ2019年1月に出資を行いました。

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