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学生時代から30年通った居酒屋のマスターの死去に対し弔辞代わりに

1月3日、お正月ですが、お通夜がありました。大学に入学した直後から30年近く通い続けた居酒屋のマスター(店主)が前年暮れに亡くなったのです。

上智大学の四谷キャンパスからJR線の線路を挟んだ反対側のエリアに「しんみち通り」という飲食通りがあります。そのしんみち通りを抜けた界隈にぽつんとあった個人経営の小さな居酒屋さん。

ドアを開けて入った右手には「囲炉裏」と呼んでいた区画(まるで囲炉裏を囲むよう座るスペース)があります。カウンター席の後ろの狭い通路を抜けた奥には座敷があり、その場所が私たちの夜の憩いのスペースとなっていました。

昭和の終わりのその頃は、未成年の飲酒について厳しい規制はなく、大学に入ったばかりの1年生に酒を飲ませてと酒を飲んで部活動に勧誘することが一般的でした。

私は、入学式当日に体育会競技ダンス部に勧誘され、そのまま飲み会に参加しました。そして二次会で初めてこの店に足を踏み入れたのです。

その日以来、学生時代は必ず週に数回はこの店のお座敷で飲み会。私たちの数年上の年次の先輩たちからこの店を使い続け、さらに下の後輩たちにも、30年以上脈々と引き継がれていったのでした。

やがてマスターも競技ダンスに関心を持つようになり、後楽園ホールで行われる競技会に何度も応援に来て下さいました。

座敷でいくら騒いでも汚しても「やれやれ」という調子で大目にみてくださり、決して怒って怒鳴ったり出入り禁止なることもありませんでした。

お店の中では喧嘩もしょっちゅう。泣き、笑い、叫び・・・青春時代の弾けた想い出はほぼこの店に。。

後輩がご近所の自動販売機を壊した際にはさすがに、マスターは怒りました。「自分の店の中なら良いが、店外のご近所には迷惑をかけるな」という趣旨なので、そのあたりのけじめはしっかりと教えていただきました。

私たち部活のメンバーは卒業して社会人になり、バラバラとなった後も、時々会うときには必ずこの店に集まるように。

入口のドアをちょっと開けて、マスターに「いますか?」と尋ねるだけで「あー、●●さんが来て奥にいるよ-」と名乗らずとも平気なのがとても楽でした。

地方へ転勤する者は挨拶をしに飲みに行き、東京に戻ってくれば、また挨拶に飲みに行く…

やがて各々が自分の婚約者を連れて行き、カウンターで静かに飲むような利用も。

私たちも中年と言われる年齢になると、ドンチャカ騒ぐよりは静かにゆっくり飲みたい方向へ変わります。

たまたま座敷で若い集団が騒いでいると「あー、自分たちもこうだったのか・・・いやもっと酷かったよなあ」と、マスターの寛容さを改めて思い知ったのでした。

そんなお店も2013年についに閉店となりました。

閉店までの期間は歴代のお世話になったメンバーが代わる代わる、次々と惜別の宴会を開き、マスターへ感謝を述べました。

そして閉店から5年、クリスマスの夜に亡くなったのです。享年は推定70才。

今回の通夜で初めてマスターの本当のお名前を知りました。。

 

合掌

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