バブル時代に流行語にもなったシーマ現象。「高いからバカ売れした」という一言で消費者側の心情だけで片付けられてしまうことが多いです。しかしその背景には快進撃を遂げた日産の社内の環境変化も大きく関わっているのでした。(文中敬称略)
「シーマ現象」って何?
バブル時代に流行語にもなった「シーマ現象」。簡単に説明しましょう。
シーマとは?
「シーマ(Cima)」とは日産自動車が1988年に発売したセダンタイプの乗用車です。主な特徴を3つ挙げると、
- Y31セドリック/グロリアをベースとした3ナンバー専用ボディー
- 3リッターV6エンジン搭載
- 最上級グレードは500万円を超える高級車
シーマ現象とは?
バブル景気に沸いた日本では、シーマが3ナンバーの高級車としては異例のヒットとなりました。
購入者アンケートの結果でシーマを買った理由として「値段が高かったから」という答えが最も多かった・・・という逸話もあり、バブル時代の消費性向を象徴するムーブメントとして「シーマ現象」と呼ばれています。

「セドグロ」から「シーマ現象」への経緯
シーマは「単純に価格が高かったから売れた」という訳ではありません。
ボディーベースとなったY31セドリック/グロリアの成功からの系譜を下のリンク先では詳しく解説されています。

日産の開発エピソード
また日産内部で起きていた改革のムーブメントは下の記事が詳しく説明しています。

上の記事によれば、Y31セドリックのデザイナーが、経営陣の承認を得た後にもかかわらず、さらに「リファイン」と称して大幅なデザインの変更を断行してしまった。→すると主管は腹をくくって社長に直接承認を取り付けに行く。→社長は「良くなったのなら大いに結構」と快諾。
その結果、Y31セドリックは「グランツーリスモ」という新しいコンセプトのもとに大ヒットしたのでした。
Y31セドリックの開発陣はその大ヒットにも満足しませんでした。「お客様はより明確な個性とステータスを持った高級パーソナルカーを求めている」と、ついにシーマの開発を「もぐり」で始め、熱意で会社を動かしていきました。
シーマの開発は言うなれば「事後承諾」。
若林デザイナーは信ずるところを自由にデザインし、三坂主管は社内を説得して回りました。「お客様はこういうクルマを求めている」。
そしていよいよ彼らの熱意は会社を動かすのです。シーマの開発は言うなれば「事後承諾」。
さらにどうしてもターボエンジンが欲しかった三坂主管はレパード用に開発中だったVG30DETを「譲ってもらう」形でシーマに採用。
レパードの開発陣も協力的だったと言います。この当時日本最高スペックの大パワーターボエンジンを得て、シーマと日産は豪快に加速して行くのです。
CarMe S13シルビアやZ32フェアレディZ…バブル期の日産はなぜ次々と名車を生み出せたのか? より引用
シーマの成功が日産の快進撃を導く
Y31セドリック/グロリア/シーマの成功により日産の社員は自身を取り戻します。
本当に良いと信ずるものを作ればお客様は応えてくれる、この思いが次のヒットを生み、そのヒットがまたその次のヒットを生む、そしてさらに自信を深めるという良き成功の連鎖を築き上げます。もちろんシェアも回復し、経営も上向き、そうなると資金運用にも大きな余裕が生まれてくるわけです。
CarMe S13シルビアやZ32フェアレディZ…バブル期の日産はなぜ次々と名車を生み出せたのか? より引用
こうした妥協のないモノづくりが、後年に「名車」と呼ばれるクルマを次々と世に送り出したのでした。
シルビア(5代目)S13/KS13型(1988年 – 1993年)
(モーターファン別冊 日本の傑作車シリーズ第9弾)
セフィーロ(初代)A31型(1988年-1994年)
フェアレディZ(4代目)Z32型系(1989年 – 2000年)
Ultimate Nissan 300ZX (Fairlady Z32) Sound Compilation
スカイライン(8代目)R32型(1989年-1993年)
Driving an R32 in America!-R32 GTS-T Skyline Review

