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私は子供の頃に本気でマンガ家になろうとしていました。夢と異なる人生を歩んではいますが、同じ市内に住んでいた手塚治虫先生の著作に多大な影響を受けてきたのは間違いありません。いまだに脳裏に焼き付く「マンガのウソ」について私なりの解釈を。(文中敬称略)

生誕90周年の巨匠「手塚治虫」で思い出す、私とマンガの関係。

近所の書店で「文藝別冊」シリーズのフェアをやっていて、テーブルの上に平積みされていた中に見つけたムック本。

「大瀧詠一」と「手塚治虫」を衝動買いしてしまいました。

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読み応えあり「文藝別冊」

このシリーズは初めて買いました。なかなか読み応えがあります。

手塚治虫に関する想い出や受けた影響を多くの人が語っています。

しかし、この類いの本にありがちな「手塚治虫マンセー」といった絶賛記事ばかりでなく、本音と真実をかなり赤裸々に綴っています。

また写真、スケッチや絵コンテ等の珍しい資料も多く、かなりコスパが良い書籍と思います。

手塚治虫は1989年2月、平成に変わった翌月に亡くなりました。その前年の写真も載っています。

かなり痩せておられていて胃がんがかなり進行していたのが様子が分かります。

 

同じ市内に住んでいた巨匠

実は、私の実家は手塚治虫の自宅と同じ市内にありました。

私自身も、駅で手塚治虫ご本人と2度すれ違ったことがあります。

上の本の表紙のとおり、恰幅が良く、本当にトレードマークのベレー帽を被って歩いておられました。

私の弟は、彼が小学生のときに友達と一緒に手塚治虫の自宅を突撃したことがありました。

無邪気さゆえの怖いもの知らずですね。。

ご本人は不在でしたが、奥さまかお手伝いさんかが出てきたそうで、サイン入りの火の鳥の色紙をいただいて帰ってきました。

 

私とマンガとの関係

私は小学生~中学生まで、本気で「マンガ家になりたい」と思っていました。実際に、ケント紙にGペンや丸ペンでインクを使ってマンガを描いていたし、鉛筆書きのラフな小冊子を一部の友人に回覧してけっこう受けていました。

「マンガ家養成講座」みたいな通信教育を受けていた時期もあります。教科書やノートは落書きだらけで、もうたいへんな状態になっていました。

中学に入学して真っ先に入ったのは美術部。

しかし先輩方がオール女子、同学年も9割女子という環境に、当時は奥手だった私は馴染めず、半年ほどで辞めてしまったのでした。高校に上がると柔道部に入り、クラス選択(美術か音楽の二択)もなぜか音楽クラスを選択してしまう等、自然と「絵」からは遠ざかっていってしまいました。

 

むさぼり読んだ「限られた」マンガ教本

小学生~中学生の頃に入手できた、まともなマンガ教本は限られていました。双璧とも言えるのは

手塚治虫 著「マンガの描き方」

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石森*章太郎 著「マンガ家入門」
(*1985年~石ノ森に改名)

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特に手塚治虫先生の本はむさぼるように読んだ記憶があります。

私の叔父が当時「秋田書店」に勤めていました。叔父の家に遊びに行くと必ず少年チャンピオンの雑誌とグッズが転がっており、幼少期から「※黄金期の」少年チャンピオンに目を通していました。

※1970年代

1972年4月に壁村耐三が編集長に就任して黄金期を築く

壁村は実売で24万部と立ち遅れていた同誌において、全編を読み切り形式に変更する改革を断行。

劇画路線で青年誌化が進んでいた『週刊少年マガジン』『週刊少年サンデー』に対して王道的な少年誌路線で躍進。

『ドカベン』(水島新司)、『魔太郎がくる!!』(藤子不二雄Ⓐ)、『ブラック・ジャック』(手塚治虫)、『マーズ』(横山光輝)、『キューティーハニー』(永井豪)、『番長惑星』(石ノ森章太郎)、『恐怖新聞』(つのだじろう)、『ふたりと5人』(吾妻ひでお)、『百億の昼と千億の夜』(原作:光瀬龍、作画:萩尾望都)、『がきデカ』(山上たつひこ)、『月とスッポン』(柳沢きみお)、『らんぽう』(内崎まさとし)、『レース鳩0777』(飯森広一)、『青い空を白い雲がかけてった』(あすなひろし)、『750ライダー』(石井いさみ)、『エコエコアザラク』(古賀新一)、『ゆうひが丘の総理大臣』(望月あきら)、『マカロニほうれん荘』(鴨川つばめ)などの大人気作品が連載され、スポ根、学園もの、ホラー、ギャグと全ジャンルを網羅し、『週刊少年ジャンプ』と競い合う形で、1977年1月には200万部を突破してトップに立った

週刊少年チャンピオン Wikipedia より引用

中でも一番好きだったのは手塚治虫先生の「ブラック・ジャック」でした。

内容の面白さもさることながら、あの軽妙なペンタッチは唯一無二のものです。

 

信頼性の源泉となった「マンガのウソ」

手塚治虫先生の教本で最も印象に残ったこと(40年経った今でも鮮明に覚えていること)は「マンガのウソ」という言葉と概念でした。

「マンガのウソ」をわかりやすい例で言えば、下の図のアトムの「髪の毛の形」です。

 

アトムがどっちを向いても、ツノ状の髪の毛がふたつ見えます

寝ぐせがピンと立ったようなものですから、本来であれば角度によっては重なって見えるはずです。

しかしだからといって、立った髪の毛を1本しか描かなかったらアトムに見えません。

マンガにとって、ウソはだいじなものなのです。

マンガの絵はウソを描くものだ

おなじみ鉄腕アトムの頭の両方に、ピンと立ったもの、あれをツノだという人がある。あれは髪の毛なのです。

あれは実はぼくがモデルなのだ。ぼくが若く、まだ髪の毛が天然パーマだったころ、風呂から上がると、モヤモヤと髪の毛 がおっ立って困った。

鏡で見ると、両側が犬の耳みたいにさか立っていた。こいつを使おうとばかり、アトムの毛にしてしまった。

ところで、アトムの毛は、アトムがどっちを向いてもふたつ見える

昔、東京の下町におばけエントツというのがあって、見る方向によって四本に見えたり三本に見えたり二本に見えたりしたものだ。

同じようにアトムをま横から見ると、たしかひとつにかさなって見えるはず の髪の毛が、やっぱりふたつあるのである。

これは、ミッキーマウスの耳だって同じだ

こういうのをマンガのウソと呼んでいる。マンガにとって、ウソはだいじなものだ。

ことに絵のウソは、どうしても 必要なのである。

いまいったアトムの髪の毛だって、見ようによってはひとつにかさねて描かなければならない。

だが、それでは、見たところアトムには見えない。

「手塚治虫のマンガの描き方」第1章の1「マンガは落書きからはじまる」より引用

 

潜在意識に置かれた「ウソ」の重みと役割

「マンガのウソ」がだいじなもの、というのは読者にとっての利益を考えているわけです。

読者が混乱しないための配慮とも言えましょう。

少年期にそういう「ウソ」という言葉の重みと本来あるべき役割を強くインプットされたことが、私のその後の生き方にも影響を持つようになったのでした。

「奥野くんってお世辞を言わないから、褒められるとすごく嬉しい」と言われたことがあります。

お世辞もウソの一種と考えるならば、そう軽々しく口にするべきものではない・・・恐らく潜在意識にそういうものがあるのだと思います。

 

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