飛行機に初めて女性の客室乗務員が誕生したのは1931年。パイロットへの夢を絶たれた看護婦「エレン・チャーチ」の熱いプレゼンによって実現しました。翌年に日本で「エアガール」が登場。現代のサービススタイルの元祖となったのです。(文中敬称略)
エレン・チャーチ(Ellen Church)が女性の客席乗務員への道を切り開いた
1930年よりも以前の時代、航空産業は男性中心の世界だったそうです。
現代ではおもに女性が活躍する「航空機の客室乗務員」も、男性(スチュワード=男性乗務員)のみの職業となっていました。
(アメリカ)アイオワ州出身の ”エレン・チャーチ / Ellen Church” は、そんな閉鎖的な航空業界に女性が就業する道を切り開いたパイオニアと言われています。
エレン・チャーチは看護婦からパイロットを目指したものの断念した
大学で看護を学んだ後に看護婦となっていたエレン・チャーチは、飛行機に魅せられるようになります。
そしてパイロットを目指して飛行機の操縦を学ぶのです。
しかし当時は”男性社会”の航空会社ではどこも”女性のパイロット”を採用してくれません。
機内での看護婦の必要性をアピールして客室乗務員として採用された
するとエレン・チャーチは、客室乗務員として飛行機に乗って働く夢を実現しようと「看護婦は機内の乗客の役に立つ」というアピールを熱心に行いました。
その甲斐があって、エレン・チャーチはボーイング・エア・トランスポート(ユナイテッド航空の前身)から客室乗務員として採用されます。
▼エレン・チャーチ(Ellen Church)
1930年に世界初の女性の客室乗務員が誕生
1930年(昭和5年)、エレン・チャーチの熱意により初の女性客室乗務員(スチュワーデス)が誕生。
しかも採用された女性はエレン・チャーチだけではなかったのです。
最初のスチュワーデスは8名=オリジナル・エイト
エレン・チャーチは主任として同僚の看護婦7名ともに航空会社に採用されました。
この8名は「オリジナル・エイト」と呼ばれています。
チャーチは、客室の女性乗務員という存在が、飛行機に乗ることは安全であるという周知につながると信じていた。
同僚の看護士7人とその主任として採用され、1930年5月15日にサンフランシスコ~シャイアン便でボーイング80Aに初搭乗した。
後年この8人は「オリジナル・エイト」と呼ばれた。
Wikipediaーエレン・チャーチ より引用
これが「オリジナル・エイト」だ!(集合写真)
最初のスチュワーデス「オリジナル・エイト」の集合写真をTwitterで見つけました。
▼オリジナル・エイト (“The Original Eight”)
¿Sabías que hoy se cumplen 88 años del primer vuelo de una azafata?✈ Su nombre era Ellen Church. A ella se unieron Margaret Arnott, Jessie Carter, Ellis Crawford, Harriet Fry, Alva Johnson, Inez Keller y Cornelia Peterman (“The Original Eight”) ➡️ https://t.co/bBhD0eFZvB pic.twitter.com/fdhY4BSOze
— DiarioAzafata (@DiarioAzafata) 2018年5月15日
日本でスチュワーデスが誕生したのはいつ?
ところで、日本では3月5日が「スチュワーデスの日」とされています。なぜこの日が記念日となったのでしょうか?
「スチュワーデスの日」は1931年に”エアガール”が誕生した3月5日
1931年(昭和6年)の2月に東京航空輸送(=太平洋戦争前にあった日本の民間航空会社)が、日本初の女性客室乗務員「エアガール」の採用試験を実施。
翌月の3月5日に採用試験の合格者を発表(”エアガール”の誕生)したことから、この3月5日が「スチュワーデスの日」となりました。
なおエアガール採用試験は「応募者140名に対し合格者3名」の狭き門であったとのことです。
▼「エアガール」誕生
【3月5日は何の日フッフ〜】それは1931年(昭和6年)のこと・・・東京航空輸送が実施した日本初のスチュワーデス採用試験の結果が発表された日です。「エアガール」という呼び名で募集され、140人の応募に対し、合格者は3人でした。 pic.twitter.com/lK0USwGUX0
— 三十坪の秘密基地 (@30tsubo) 2015年3月5日
現在の客室乗務員の業務スタイルは日本から始まった?
1931年といえば、前述したとおりエレン・チャーチが世界初のスチュワーデスとなった1931年の翌年です。アメリカで起きた動きに影響を受けたことは明らかです。
ただしアメリカのスチュワーデスは看護師資格が必須となっていたのに対し、日本の「エアガール」は客室内のサービスを重視した仕事でした。
つまり現在の客室乗務員の業務のスタイルは日本から始まったとも言えるのです。
▼「エア・ガールの1日」
昭和15年(1940年)、アサヒグラフより「あるエア・ガールの1日」という記事です。関口かほるさんというエアガールの1日を追った写真。
今はキャビンアテンダント、ちょっと前まではスチュワーデスと言いましたが、戦前の写真はかなり珍しいのではないかと思います。それではおやすみなさい。 pic.twitter.com/cjVhcGkKEX— 戦前~戦後のレトロ写真 (@oldpicture1900) 2019年4月16日
日本のスチュワーデスの誕生経緯については下のリンク記事に詳しく書かれています。
実は、最初のスチュワーデス3名は1ヶ月で全員退職してしまったそうです ヽ(´o`;
なお、国によって「客室乗務員」の呼び方が違う背景については キャビンアテンダントは和製英語でフライトアテンダントは米製英語? に書きました。