伝説のイカ天バンド「たま」ヒット曲と人気沸騰の裏側で葛藤

平成元年(1989年)の「イカ天[1]」で全国区で人気に火がつき、”たま現象”とも呼ばれるブームを巻き起こした伝説のバンド『たま』。その特異性と音楽史における意義を書いた記事は山ほどあります。ここでは「白ランニングシャツの」石川浩司さんの自叙伝を紹介しながら「人気の裏側で増幅する違和感」と、ジレンマを打破するため、独立して「自分たちから発信していく」道を選んだ経緯を紹介します。

たま さよなら人類:1990年 第32回日本レコード大賞 最優秀ロック・新人賞 受賞

アングラバンドと時代背景を知るにも貴重な自叙伝

たま さよなら人類

たま さよなら人類

石川浩司さんは、坊主頭に白ランニングでコミカルにドラムを叩き『たま』の中でも一際目立っていたメンバー。石川浩司さんは『たま』が解散した翌年の2004年に自叙伝的な本『「たま」という船に乗っていた』を出版しています。

既に絶版になっていますが、ありがたいことに石川浩司さんのホームページで全文が無料公開されています。『たま』の成り立ちや大ブレイクから解散に至るまでの心境とともに、テレビ番組の裏側やエピソードが真面目に(時にはコミカルに)綴られています。

読み物としてとても面白く、芸能史の貴重な史料でもあります。(ほんの少しエログロ描写あります。食事時は閲覧注意。)

「たま」という船に乗っていた

一日限定バンドが『たま』に。バンド名の由来は割と安易

1984年、ライブシリーズのある回で「いつもはそれぞれソロでやっている者がちょっと集まって、一回こっきりの『バンドごっこ』みたいな物をやろう」という企画になり、石川浩司さん、知久寿焼さん、柳原幼一郎さんの3人で一日限りのバンドを結成しました。バンド名は「近所の弁当屋でよく食べていた」メニューから『かき揚げ丼』。

ところが、いざ3人でステージをやってみたところ、とても面白かったため、「ちゃんとしたバンドで少し続けてみよう」と意気投合したとのこと。

 自分がソロでやっている曲でも、他のふたりにいじられることで、予想もつかない新しいイメージの別の曲のように変貌したりするのだ。
終わったあとの客の反応も良かった。

「たま」という船に乗っていた/石川浩司著 より引用

正式なバンド名を決めた理由も意外とあっさりしています。

  • 音楽性がモロ出しのバンド名はいやだ
  • 略語が好きじゃないので極力短くしたい

 俺達はなるべくバンド名ですぐに音楽性までモロ出しにわかるようにはしたくなかった。そもそもソロの集合体だったので、音楽性自体もジャンル分けが不能であったし。
・・・中略・・・
「なんでもいいんだけどねぇ・・・」
じゃ『たま』とかどう? 名前知らない猫が歩いていても『たま、たーまーたま!』とかテキトーに呼ぶじゃない。それに俺、略語とかあんまり好きじゃないから『たま』なら二文字だから、略されたり間違えて呼ばれることもないだろーし」と俺が言うと、「あー、それでいいや。もー。じゃ『たま』ね!」

「たま」という船に乗っていた/石川浩司著 より引用

活動5年、ドサ回りも。”イカ天”出演 一気に全国区へ

1986年、ベース奏者を募集したところ、ベース未経験(!?)の滝本晃司さんが応募し、バンドに参加。『たま』は4人体制をなります。

都内でのライブ活動が中心でしたが、全国ツアーにも出かけ、地道にファンを増やしていきます。そして1989年、話題の”イカ天”への応募に対して優柔不断だった4人には内緒で、スタッフの女性がデモ・テープを番組へ送付。晴れて11月の運命の出演へ。

『さよなら人類』はポップ調ですが、イカ天で最初に披露したのは、アングラ感が全開の『らんちう』。私もリアルタイムで番組を観ていましたが、まさに「画面に釘付け」となりました。

『とんでもないのが出てきたね!』

そんな表現がぴったりでした。

たま らんちう

たま らんちう

そしてグランドイカ天キング(5週勝ち抜き)をかけた最後の勝負曲が『まちあわせ』。演奏はギター1本で意表を突かれました。ヤバイです。

「ゲンゲン ゲロゲロ ゲゲゲロロォ~」が一晩中耳に残って熟睡できませんでした。笑

たま まちあわせ

第4章には、イカ天出演の翌日から生活が一転した様子がリアルに書かれています。

第四章 イカ天で人生大逆転!?
  • 駅のホームでは女子高生の集団が叫んで追いかけてくる
  • 知久さんの自宅の留守番電話に毎日数百件のメーセージが入ってくる
  • アルバムの1日の注文が「数10枚→数千枚」に激増

ちょうどその頃に発売したファーストアルバムはインディーズ・レーベル。当時の状況をこう表現しています。

・・・カウンターだけの常連さん相手の居酒屋に、ガラッとドアが開いたと思ったら見知らぬ何千人もの客が一挙にズドドドッと暴れ馬のように押し入ってきた状態・・・

「たま」という船に乗っていた/石川浩司著 より引用

『たま』は「バンドブーム」の代表、寵児じゃない!

第五章 狂乱の一年

第5章には、芸能番組、マスコミの裏側が赤裸々に書かれています。音楽番組で「本当に演奏するのか?」と聞かれて驚いた話や、レコード大賞~紅白歌合戦の舞台裏。

当時は、「イカ天」の大人気もあって、『バンドをやろうぜ!』といった調子の雑誌の発刊が相次ぎ、音楽男子や女子はこぞってバンドを組んで演奏する、「バンドブーム」と言われる現象が起きていました。

そしてイカ天大賞の『たま』への取材では必ず「現在のバンドブームについて、どう思われますか?」という質問がされるのでした。石川浩司さんはこの種の質問には困惑し、不快感を覚えていたということを綴っています。

・・・残念ながら俺達はいつも端切れの悪い返答しか出来なかった。
何故ならそもそも「たま」はバンドブームだからバンドを作ったわけではなかったからだ。すでに「たま」結成後、6年も経っていたのだし。
・・・中略・・・「バンドやろうぜ!」なんてノリではもちろんなかったし、バンドブームと言われてもむしろ困惑した。ブームだからバンドをやっているのか、と思われるのは少なくとも俺としてはあまりいい気持ちがしなかったのが本音だったからだ

「たま」という船に乗っていた/石川浩司著 より引用

増幅する「アイドルごっこ」「芸能界ごっこ」への違和感

第7章と第8章では、続くジレンマをこれでもかとばかりに書き連ねています。

 ・・・ってなことで嬉しいこともあったがはっきりいって、どこに行ってもキャーキャー状態が続いていて、さすがの俺達も少々この状況にうんざりしてきた。そこで遂に俺が先陣を切ってキレテしまったのだ。
あれは名古屋だったか、デパートの一角に設けられたステージでラジオの公開録音があったのだ。そしてたぶんその日はそれまでもアイドル的な雑誌の取材等を受け、自分の中で「違う!」と囁く声が繰り返し聞こえていたのだ

「たま」という船に乗っていた/石川浩司著 より引用

そして、公開録音で放送禁止用語を叫んでしまった石川浩司さん。

ただ正直に言って俺は「アイドルごっこ」「芸能界ごっこ」にぼちぼち自分の中で違和感を覚えていた。「宣伝」のためと割り切ろうとしても、物によっては割り切れないものもあった。

「たま」という船に乗っていた/石川浩司著 より引用

「自分達から発信していかないとやばいね」

自分たちの意志と反して第三者にイメージを決められてしまう状況に危機感を覚えた石川浩司さんは、自ら発信していくために1992年に行動を起こしました

「自分達から発信していかないとやばいね」という話をすることも増え、少々重くなった腰をあげ、素人ながら行動を開始してみることにしたのだ。
・・・中略・・・
それが一番フラストレーションがたまらないことだと思ったのだ。具体的に言うとすなわちそれは会社作り、スタジオ作り(レコーディング)、ライブツアーなどだった。

「たま」という船に乗っていた/石川浩司著 より引用

そして自分たちを取り戻した『たま』は、更に10年にわたり、精力的な活動を続けていくのでした。

1996年に「違う音楽をやりたい」柳原幼一郎さんが脱退。3人となった『たま』はテレビ等マスコミへの露出や宣伝は積極的に行わなくなります。もはや本人たちにとってはあまり興味のある対象ではなかったのです。しかし毎年コンスタントにアルバムを発表し、ライブも毎年5~60本以上は行う等、自分たちのペースで活動を継続していくのでした。

そしてここから解散までの時期は、それこそ淡々と自分達のペースで、自分達で納得の出来る作品と演奏を、自分達でCDやらライブとしてプロデュースしていった

「たま」という船に乗っていた/石川浩司著 より引用

石川浩司さんのハンパない”空き缶コレクション”

最後に石川浩司さんの変わったコレクションを紹介しておきましょう。石川さんは知る人ぞ知る「空き缶コレクター」。

「すべて自分が飲んだ飲み物の缶だけ集める」こだわりでも、そのコレクションの数は2万本超!!連載もしていますのでリンクを貼っておきます。

第1回 これが缶コレの掟だ!(上):かもめの本棚 online
 連載「ママとパパには内緒だよ」の軽妙なエッセイで読者の皆さんを楽しませてくれたミュージシャンの石川浩司さん。実は、知る人ぞ知る空き缶コレクターです。これまでに地方や海外などの旅先で集めた缶はおよそ3万缶! しかもそこには、「すべて自分が飲んだ飲み物の缶だけ集める」というこだわりがあるのです。そんな石川さんの缶コレクシ...
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