FC東京から横浜Fマリノスへ期限付き移籍した久保建英。”移籍デビュー戦でアシスト記録”のニュースを見て思い出しました。「横浜の久保」と聞いてすぐにイメージが浮かぶのは、元日本代表FWの久保竜彦。かつての豪快なゴールシーンが見たくなって集めてみました。(文中敬称略)
「横浜マリノスの久保建英」でどうしても思い出してしまう「久保竜彦」
2018年8月22日、ふと目にしたニュース。「久保建英が横浜Fマリノスデビューで初アシスト!」
久保建英が天皇杯で横浜デビュー! 柔らかいパスで同点弾をアシスト!https://t.co/q2Zlmhz40b#久保建英 #横浜F・マリノス #marinos #アシスト pic.twitter.com/ERAePjwUZl
— サッカーダイジェスト (@weeklysd) 2018年8月22日
「マリノスの久保」という言葉を聞くと、どうしてもあのプレーヤーを思い出してしまいます。そう、元日本代表FWの久保竜彦です。
久保竜彦といえば数ヶ月前に「ジーコと12年ぶりに再会」の記事が話題を読んでいたばかりなのでなおさらです。
「久保竜彦、ジーコ元監督に会う。12年ぶりの邂逅」 https://t.co/FA0WkBpFxP 2006年のドイツW杯で日本代表を率いたジーコ元監督と、最後に選出されなかった久保竜彦。12年ぶりとなる二人の再会の現場に立ち会いました。 #久保竜彦 #ジーコ #日本代表 #W杯 #LINENEWSプレミアム pic.twitter.com/EZJVayrNmW
— LINE NEWS (@news_line_me) 2018年5月30日
久保竜彦の強い印象は、横浜と日本代表のブルーのユニフォーム
久保竜彦が在籍したチームはサンフレッチェ広島の期間が最も長いです。
しかし、ジーコ監督のもとで日本代表として最も活躍していた時期に在籍していたチームが横浜Fマリノスです。
そのため「久保竜彦=横浜Fマリノス」の印象の方が強くなっています。
横浜も日本代表もユニフォームが同じブルーだった影響もあるかもしれません。
久保竜彦のJリーグ在籍チームと日本代表(国際Aのマッチ)成績
年度 | チーム | 国際Aマッチ出場 | 国際Aマッチ得点 | 日本代表監督 |
1995年 | 広島 | |||
1996年 | 広島 | |||
1997年 | 広島 | |||
1998年 | 広島 | 1 | 0 | |
1999年 | 広島 | 1 | 0 | |
2000年 | 広島 | 5 | 0 | |
2001年 | 広島 | 2 | 0 | |
2002年 | 広島 | 5 | 0 | ジーコ |
2003年 | 横浜FM | 3 | 2 | ジーコ |
2004年 | 横浜FM | 9 | 6 | ジーコ |
2005年 | 横浜FM | 0 | 0 | ジーコ |
2006年 | 横浜FM | 6 | 3 | ジーコ |
2007年 | 横浜FC | |||
2008年 | 広島 | |||
2009年 | 広島 |
久保竜彦のベストゴール集(Jリーグ公式YouTubeから)
今日は久保 竜彦氏 40歳のお誕生日!【HAPPY BIRTHDAY!!
以下の動画は2013年選出の「Jクロニカルベスト」ベストゴール
Jクロニクルベストは、2013年に日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)誕生20周年を記念してJリーグが主催して行った、過去20年間のJリーグ「ベストイレブン」「ベストゴール」「ベストマッチ」を選出する企画
Jクロニクルベスト Wikipedia より引用
1998年ベストゴール
(久保 竜彦)Jクロニクルベスト:1998ベストゴール
2001年ベストゴール
(久保 竜彦)Jクロニクルベスト:2001ベストゴール
2003年ベストゴール
(久保 竜彦)Jクロニクルベスト:2003ベストゴール
おまけ:横浜フリューゲルス「エドゥー」がスーパーFKを振り返る
久保竜彦の動画を探すためにJリーグの公式YouTubeページを見てみたら、たいへん懐かしい名前と姿が目に飛び込んできました。
Jリーグ黎明期の1994年に横浜フリューゲルス※のエドゥーが放った2本のフリーキックです。
(※横浜フリューゲルスは横浜マリノスに吸収されて「横浜・F・マリノス」になった)
40mの距離からど迫力のキックでゴールポストの隅に叩き込むそのFKは当時は度肝を抜かれ鳥肌が立ったのを覚えています。
この動画ではエドゥー本人が、スーパーFKの背景を語っています。
あの40mフリーキックに隠されたストーリーとは!?エドゥーが現役時代を振り返る。:THE LEGEND SPECIAL INTERVIEW エドゥー編