バブル時代のマンガ『YAWARA!』が火を付けて女子選手が急増し柔道ブームに。私が高校の柔道部にいた時代とは隔世の感があります。しかし爽やかでライトなスポーツになろうとも柔道は格闘技。一歩間違えれば大怪我に繋がります。(文中敬称略)
バブル期以降に女子柔道ブーム
私が高校に入学して柔道部へ飛び込んだ時代、 1980年代前半の当時においては、柔道部に所属している女子はレアな存在でした。
実際、「柔道部へ入りたい」と尋ねてきた新入生女子を、私は主将権限でお断りしていました。
「柔道部に入りたいんです💕」とやって来た新入生女子。どうするべきか仲間に相談したら主将の奥野が決めろと。そんなん言われたら、超奥手だったボクの答えは決まってくる。ちょっと可愛め女子の入部をお断りした。勇気を持って受け入れていたらボクの人生は変わっていたかも。実は大きな岐路だった。
— ヨシオクノ🌤️奥野良孝 (@YoshitakaOkuno) November 20, 2019
ところが、バブル景気(1986-1991年)の頃から様相が変わり、女子選手を含む柔道ブームが訪れたのでした。
その女子柔道ブームを生むきっかけとなったのがマンガ『YAWARA!』であり、”ヤワラちゃん”こと田村亮子選手だったのです。
マンガ『YAWARA!』の影響力
浦沢直樹の柔道マンガ『YAWARA!』が週刊漫画雑誌『ビッグコミックスピリッツ』(小学館)で連載されたのが1986年から1993年まで。
1989年からはTVアニメもされて大人気となります。そして女子柔道のブームが始まるのでした。
本作品の影響により中学校や高校の部活動において女子柔道部員が急増するなど競技人口が拡大し、それに応じてほぼ皆無に等しかった女子の地方大会が実施されるようになり、男性の競技と見なされていた柔道が女性競技者に対しても門戸を積極的に開く契機となった。
”ヤワラちゃん”田村亮子の活躍
田村亮子(結婚後は谷亮子)選手は、1990年代~2000年代に活躍した女子柔道選手。
オリンピックで2度、世界選手権で7度金メダルを獲得。
マンガ『YAWARA!』で人気が出た女子柔道の現実世界でも活躍し、大いに盛り上げます。
柔道は常に危険と背中合わせ
女子人気が高まった柔道は、スポーツとしてのイメージが色濃くなった感があります。
しかし忘れてはいけないのは「柔道は格闘技」であること。
ちょっと気を緩めて、注意を怠れば、すぐに大怪我へつながります。
私が柔道を始めたのは高校の柔道部に入ってからです。よって活動期間は2年余りの短いものです。
しかしその期間でも、柔道の怖さや危険はいくつか目にしてきました。
絞め技で白目を剥いて泡を吹く
最初に怖いと思ったのは、都大会予選の試合会場でした。
強豪校と呼ばれる高校は全員が丸坊主頭でそれだけでも威圧感があります。
自分の学校の上級生の試合が始まると、全員が畳に正座して試合ゾーンの周りから声援を送ることが習わしです。
怖かったのは、絞め技を受けて顔の血の気が引いていくのが明らかなの選手に対し・・・
「先輩!!ファイトです!!」 「ファイトです!!」
と、後輩たちは激を飛ばすのです。
「おいおい・・・ファイトじゃないだろ・・・」
と、傍から見ててヒヤヒヤします。そんな声援を受けたら参った※できないやん。
(※柔道では手のひらで身体を2回叩いて「降参」の意思表示をします)
案の定、参ったするタイミングを失い「落ちて」しまう人が絶えないのです。
白目を剥きながら泡を吹いて仰向けにぐったりしている姿を見るのはつらいです。
関節技で肘関節を骨折
部員が少なかった私たちは、他の高校へ出向いて練習試合を行うこともありました。
そんなある日、私の高校の同期が試合中に腕ひしぎ十字固めを掛けられました。
▼腕ひしぎ十字固め (写真)
これもまた「参った」のタイミングが遅れたのです。そして「バキッ!」という鈍い音がしました。
彼の肘は完全に逆の方へ曲がってしまい、骨折してしまったのが明らかです。
そのまま病院へ搬送された彼はそのまま復帰することなく柔道部を去りました。
怪我の判断は慎重に行うべし
実は、私も一歩間違えれば大惨事となったアクシデントがありました。
都大会予選。巡り合わせが良くて3回戦くらいまで勝ち進んでいた試合です。
腕を着いて肘を痛めた
ポイントで優勢に立っているときに投げ技を掛けられました。
キレイな投げであれば一瞬で背中から落ちるものの、中途半端な技の場合には腕がフリーとなります。
無意識で腕を伸ばして手を着いてしまったのです。
肘が「ピキッ」と音を立てたような気がしました。
試合の後も、時間が経つにつれて痛みが増していきます。
肘の靭帯を断裂!?
日曜日にあった試合の翌朝、目が覚めると肘が曲がりません。
仕方なく、隣りの町にあった「整骨院」へ行きました。
撮影したレントゲンを指し示しながら伝えられた診断結果は・・・
「肘の靭帯が断裂しています。下手をすると一生戻らないかもしれません」
何と! 何と!?
その日の高校の授業は遅れて行きました。
グルグルにしたギプスを首から吊った姿で教室に入ると、クラスメートから悲鳴が上がったのを覚えています。
怪我した理由が情けない(やってはいけない腕を伸ばして手をつく行為)ので、説明するのがしんどかったです。
全く異なるセカンドオピニオン
それから家で両親と相談をして、後日に総合病院の整形外科で診察を受けました。
すると、改めてレントゲン撮影をして私の肘を触診した結果は驚くべきものでした。
「神経が傷んでいるだけですね。しばらく安静にしていたら治りますよ」
そして大げさなギプスは外されて、包帯で軽くグルグル巻く程度に変わりました。
ギプスから包帯への”いきなりの変化”をクラスメートに説明するのもまた恥ずかしく困ったものです。
結局は整形外科で受けた診断が正しく、しばらくすると肘は無事に治ったのでした。
それにつけても、同じようにレントゲン撮影をして何でこんなにも異なる診断結果が出るのか・・・
「非医師と医師の違い」で片付けるにしては落差がありすぎます。