クレジットカードとカードローン。バブル時代の銀行は、個人取引拡充のため、行員へ過酷な獲得ノルマを課していました。結果として「手段が目的化」し、冷静に考えれば首を傾げるセールス方法が蔓延(まんえん)したのでした。(文中敬称略)
都市銀行(現在メガバンク)に入ると同時にカード獲得ノルマ
バブル経済の絶頂期とも言える1989年(平成元年)に、私は大手都市銀行(当時)の富士銀行(みずほ銀行の前身)へ入社しました。
配属先は東京都新宿区にある「富士銀行市ヶ谷支店」でした。支店がある場所は、私が卒業した上智大学の四ツ谷キャンパスから歩いて行ける距離にありました。
入社と同時に渡された個別フォルダーの中身は!?
富士銀行市ヶ谷支店の入行(入社)同期は6人。うち4人が総合職(男性3+女性1)です。
4月の初め、私たち新人は大手町の本社で入行式を終えた後に、配属支店へ行きました。
新入行員に対する入社オリエンテーションはすでに3月中に行われ、銀行口座の作成手続も終えていました。
そして入社日の当日、支店で私たちに渡されたのは、1冊の個別フォルダーでした。
銀行では下の写真のような形のフォルダを常用していました。
余談ながらサンプル写真の製品は、紙製ではなくPP(ポリプロピレン)製なので、とても丈夫でおすすめです。
配られたフォルダーを開くと、ペーパーが1枚入っていました。
カード獲得ノルマ「100枚×2」申込書の束と実績管理表
新入行員各自に渡されたフォルダーに入っていた紙は「カード獲得実績管理表」でした。
営業課長は優しい笑みを浮かべながら私たちへ言いました。
「来月末までにクレジットカードとカードローンをそれぞれ100枚ずつ獲得してください」
そして私たちは、申込書が山ほど入った紙袋を渡されました。
実質2ヶ月もない期間で200枚を獲ってこい!?
営業課長の突然の話を聞いた私たち新入行員は、目を白黒させながら聞き返しました。
「クレジットとカードローンの両方を100枚ずつですか?」
「来月まで!?」
(正気か? 実質的に2ヶ月も無いじゃないか・・・)
「実質2ヶ月もない」という背景を説明しましょう。
当時の富士銀行では、新入行員が多すぎることから、集合研修を2回に分けて行っていました。
私が集合研修加へ参加するのは後半のグループ。つまり4月の後半2週間は、東京都町田市にある(人里を離れた)研修所で缶詰めとなるのです。
ちなみに、富士銀行の町田研修所は「町田リス園」の近隣にありました。
▼町田リス園
あらゆるルートを使ってカードを獲りまくれ!?
町田研修所での2週間の宿泊研修の期間以外は、基本的に1階フロア(預金担当課)でOJTを受けていました。
ただし「カードの獲得」目的であれば、外出することもOKでした。
とは言え、なにせまだ取引先を持たない新人です。どーするの?
銀行の上司は「どうしろ」とは全く言いません。なので期待されている動きは明白です。
「親戚、友人、後輩・・・あらゆるルートを使ってカードを拡販せよ!」
と暗黙のプレッシャーを感じていた日々でした。
学生向けのカード拡販に力を入れていたバブル期の銀行
住宅の担保価値の最上限まで(数千万円~数億円)の枠を設定するカードローン『カード住活』とか、クレージーな商品を銀行が展開していた時代です。
現在の風潮からしたら想像できないかもしれません。
富士銀行では1988年から学生専用のクレジットカート&カードローン”club [ef] ” いう商品を発売。
とんねるずをキャラクターに起用して、テレビCM等、盛んに広告宣伝をして力を入れていました。
当時のとんねるずは、1987年から放送が始まり大ヒットしていた”集団お見合い番組”『ねるとん紅鯨団』の司会を務め、若者から絶大な人気を得ていたのです。
社会問題化した学生に対するカード獲得セールス
冒頭で書いたように、私が配属された営業店は、自分の出身大学から徒歩圏にありました。
これはまさに、銀行が私に対して「母校の学生に売りまくれ!」と命じているのと同じでした。
カードの獲得はOB訪問の学生をも餌食にした
まず餌食(えじき)となったのはOB訪問でやってくる学生。
さすがに、銀行側の私からOB訪問に誘い出すことはNG。ただし学生側からアポを入れてきた場合は、もうロックオンです。
なにせ大学キャンパスから徒歩圏です。4、5人が一緒に支店を訪ねてきたこともありました。
ロビー脇の(従業員用)ドアを開けて、学生さんたちを応接室に案内する時点から、私と先輩方との”アイコンタクト”で準備が始まります。
預金口座作成とカード申込書のセット~お茶出し~手続きといった一連の流れがチームプレーで行われ、滞りなく”刈り取り”終了です。
OB訪問の本来の目的である質疑応答が始まる前に、私が「これ、協力してくれる!?」と切り出すため、カード申込を断る勇気のある学生はいないのです。
ひどいOBです・・・ヽ(´o`;
所属していた部活動には波紋を広げたくなかった
実は、私が所属していた上智大学体育会競技ダンス部には100名近い現役学生の後輩がいました。
ここに声を掛ければ一気に大量獲得することも可能ではありました。
しかし、とても規律を重んじる部だったので「先輩後輩の力関係をここで利用するのは一線を超えてしまうこと」
という思いが強く、最後まで利用はしませんでした。
直接的な上下でなく、関係がフラットな高校や大学の同級生に片っ端から電話をかけまくり、数字を積み上げていきました。
(携帯電話も電子メールもまだ無かった時代なので、自宅の固定電話に電話をかけるしか方法がない→現代と比べたらチョー面倒くさいのですよ)
国会で問題視された学生へのカード拡販セールス
1989年(平成元年)後半の国会では、若年層・大学生へのクレジットカードやカードローンの勧誘姿勢が問題提起されました。
私たちの年代が学生相手にClub [ef] を激しく勧誘したことも、問題の要因の1つになった可能性があります。
そして翌年度(1990年)からは、学生に対するカードの加入勧誘は、自粛かつノルマ対象外となったのです。
オーマイガーヽ(´o`;
▼参議院 会議録
○政府委員(末木凰太郎君)
数字はいいとおっしゃるのでございますけれども、私どもも、定性的に申し上げますと、クレジットあるいはカードに関する若い人たちの問題というのは注目しておるところでございます。
具体的な数字はいいとおっしゃるのですけれども、定性的な説明の一環として申し上げますと、クレジットに関しまして国民生活センターとか消費生活センターとかに寄せられました苦情の中で、若者、二十代をとりますと、二十代の人の占めるウエートがじりじりと上がっておりまして、六十年度に三三%でございましたのがその後三六・五、三七・〇、三八・四、ことしはまだ途中でございますけれども三九・九というふうに上がってきております。先生御指摘のような背景があるのではないかと思いまして、この傾向についてはここ一、二年特に注目をしているところでございます。
どういうふうに分析、認識しているかという点について具体的なお尋ねがあれば補足させていただきますけれども、若年層に問題がある、今後もほうっておくと拡大するのではないか、一言で申しますとそういう意識で今見ているところでございます。
第116回 参議院 決算委員会 平成1年11月22日 第5号 会議録 22ページより引用
○刈田貞子君
そして、特に私ども今いろいろ得ている情報では、若者をターゲットにねらっているキャンパスカード、ヤングカード、Jワン・カード等、Jワン・カードなんというのは、これは全然親権者の同意必要なしで発行できるカードで、六十三年四月一日からJCBで出された。本来的には民法四条の、十八歳から二十歳までの間の未成年者については、「法律行為ヲ為スニハ其法定代理人ノ同意ヲ得ルコトヲ要ス」というこのところを考えるならば、大学生だって成人に達するまではきちっとした親権者の同意を必要としたこの種のカードが発行されてしかるべきです。
それが全然親権者の同意を必要としないカードがどんどん出されている。こういう実態について、若者をねらえ、こういう業界あるいは市場のあり方についてどんな御指導をなさっていこうとされておりますか。
第116回 参議院 決算委員会 平成1年11月22日 第5号 会議録 23ページより引用
クレジットカードとカードローン勧誘に捨て身の戦法
2ヶ月弱で計200枚のカード獲得ノルマを追いかけていた都市銀行の新入行員の私。
終盤にさしかかると、さすがに弾切れとなってきました。
そこで私は、破れかぶれの捨て身の行動を取ったのです。
市ヶ谷支店の近所にある交番を突撃訪問
私は市ヶ谷支店の近くにあった「交番」を訪問しました。
▼牛込警察署八幡前交番
「あの、お仕事中すいませーん」
「どうされました?」
机で仕事をしていた制服の警官は、手を止めてにこやかに聞いてきました。
「実は・・・クレジットカードとカードローンを作っていただけませんでしょうか?」
その瞬間、警官の表情が険しくなったのがわかりました。
「な、なんなんだ君は!?」
「その、少し行った先の富士銀行の行員です・・・」
「なにぃ!? ちょっと、ここに座りなさい!」
職務質問が始まってしまいました。恐らく交番へセールスしに飛び込むアホなどいないのでしょう。
内容はもうよく覚えていませんが、「そんなことで公務を邪魔しに来るもんじゃない」みたいな話だったと思います。
私はお巡りさんからさんざん説教された挙句にようやく解放されました。
なお、カードの獲得には至りませんでした。
路上アンケートの怪しい人も逃げた?
交番への突撃訪問でこっぴどく叱られても、まだ懲りなかった私。
ある日のこと。池袋東口の駅前ロータリーに面する交差点で、私は信号待ちをしていました。
▼池袋駅東口
「あの・・・アンケートをお願いできませんか?」
と、私に声をかけてきた若者がいました。
アンケートと称して、その流れで何かの勧誘に持ち込むのであろう、あの怪しげなアンケートのお願いです。
(こいつは、飛んで火に入る夏の虫!!)
とばかりに、私はカバンからクレジットカードの申込書を取り出しました。
そして、そのアンケートの若者に詰め寄りました。
「カードを作って下さい!!」
「申込みしてくれたらアンケートにお答えしましょう!」
私の想定外の切り返しにドン引きした、その怪しい若者は、そそくさと逃げていってしまいました。
いや・・・どっちが怪しいんだか・・・ヽ(´o`;
中堅行員のガチなノルマはこんなもんじゃない!?
カード獲得のノルマを追いかけて七転八倒している時に、市ヶ谷支店の4年上の先輩に聞いてみました。
「こんなカードのノルマって毎期繰り返されるのですか?」
「そうだよ。 どんどん増えていくね。 この上期の僕のノルマはまだ1,500枚程度だけど・・・クレジットとカードローンそれぞれね」
「・・・!? (゜o゜;」
私たち新入行員のノルマが、まだ可愛く感じた瞬間でした。
禁断の保険会社「カード申込×保険契約」バーター
半年で数千枚のカード獲得ノルマ!?
こんな数字を達成するためには、まともな方法ではとても無理です。
そもそもカードの勧誘は銀行員のメインの業務ではありません。十数項目あるノルマのうちの一つに過ぎないのです。
そこで、主に行われていたのは保険会社とのバーター( barter=物々交換)でした。
保険契約先を斡旋する見返りとして大量の預金口座とカード作成を受けるのです。
実際、先輩の机の上には時々、ものすごい数の通帳が束になって置いてありました。
保険契約のバーターは周囲も巻き込む
新入行員は銀行に入ってすぐに(問答無用の空気の中で)芙蓉グループの生命保険会社の生命保険を申し込みます。
これもバーターの一要素になっていたのかもしれません。
さらに私の場合は入行年度に「介護保険」に加入させられました。
先輩が保険会社と約束したバーター取引の一環でした。それもライバルグループの生命保険会社に・・・
「先輩っ! 介護保険って、私はまだ22歳なんですけど・・・」
「いいから、いいから。数年たったら解約しちゃえばいいんだよ!」
ああ、バブル・・・ヽ(´o`;
30年前の記憶を辿っています。このため各エピソードの時期、前後関係や発言内容が事実と異なっている場合がございます。結果として一部フィクションが含まれることをご理解ご認識ください。