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池袋西口公園「地図の裏側」かつては娼婦と過激派の警戒エリアだった

東京オリンピックイヤー前の2019年に池袋西口公園(IWGP)の大改修が行われます。戦後の闇市から公園に変わっても、娼婦と過激派警戒の警察がうろつく怪しいエリアから東京芸術劇場の出現で大きくイメージ改善を果たしたIWGP。次の大変化でさらなるイメージアップを期待!(文中敬称略)

池袋西口公園は野外劇場へと大改修

2017年9月、東京都豊島区から池袋西口公園の大改修計画が発表されました。

隣の東京芸術劇場と連携してクラシックコンサートを開催するなど大小さまざまなイベントで利用を予定しています。

 

・公園全体を円形にデザイン
・大型ビジョンを備えた常設ステージ(62㎡)
・中央に仮設ステージ(130㎡)やイスを設置して大型の野外劇場に
・収容人数は立ち見含め1500人ほど(席数200)

 

▼池袋西口公園リニューアル完成図

新しい池袋西口公園

豊島区 平成29年9 月期 区長月例記者会見 資料 より引用
 

「池袋ウエストゲートパーク」ドラマの印象一新も狙い?

現在の池袋西口公園は、2000年に放送されたドラマ「池袋ウェストゲートパークIWGP)」の舞台となりました。

そのためB-BOY(=ブレイクダンスを踊る人)ファッションやギャングなどのイメージも定着し続けており、その印象を一新するのも狙いもあるとのこと。

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ねとらぼー「池袋ウエストゲートパーク」の舞台・池袋西口公園、2019年に野外劇場へ大改修

↑ 完成予想図が豊富

 
「池袋ウエストゲートパーク」の舞台・池袋西口公園、2019年に野外劇場へ大改修 ドラマの印象一新する狙いも
ドラマ「池袋ウエストゲートパーク」の舞台としても知られている池袋西口公園(東京・豊島区)の大改修計画を、9月6日に豊島区の高野之夫区長が月例記者会見で発表しました。オーケストラコンサートなどができる野外劇場としての機能を...
 

開園は2019年11月?

2019年1月に工事着工し、同年10月末までの完成を予定しています。

池袋駅東口の新区民センターや中池袋公園を含めたエリア「Hareza(ハレザ)池袋」も、新しい西口公園と同じ時期に完成する見込み。

 

第56回・池袋西口公園整備事業について

↑ 中段の「平成29年9月6日記者会見資料(PDF:2,810KB)」に詳しい資料あり

池袋西口公園大改修プロジェクト全体スケジュール

豊島区 平成29年9 月期 区長月例記者会見 資料 より引用
 

バブル期の池袋西口公園

戦後の長い間、闇市があったこの場所に先代の池袋西口公園が開園したのは1970年(昭和45年)。

しかし、明るいイメージの公園とは程遠い場所でした。

 

公園というよりも、広い空き地のような状態が続いていた。夜は薄暗く、決して雰囲気は良くなかった。

池袋西口公園ーWikipedia より引用

 

娼婦に声をかけられる「猥雑エリア」

大学生のとき、時々この池袋西口公園を歩いて通り抜けていました。立教・要町方面と行き来するのにショートカットコースとなっていたのです。

夜間に公園内を通り抜けようとすると必ず「たちんぼさん(=娼婦)」から声をかけられました。

小路の脇にひっそりと立っており、その人の前を通り過ぎる際にぼそっと・・・

 

「お兄さん、遊んでいかない・・・?」

 

自分は、もう恐いので、目を合わせることもなく無視して足早にその場を離れるようにしていました。

今では全然想像もつきませんが、現在は飲食ビルのスパイスがある辺りはいわゆる「連れ込み宿」が立ち並んでいました。

池袋駅北口のラブホテル街とはまた別の、猥雑レトロな雰囲気が強いエリアだったのです。

1985年にホテルメトロポリタン、1990年に東京芸術劇場が建設されたことによって、この西口エリアは大きく変貌を遂げたのでありました。

 
 

警察に声をかけられる「過激派の警戒エリア」

池袋西口公園の周辺で声をかけてくるのは「たちんぼさん」だけではありませんでした。

1986年5月のある晩のこと。公園を抜けた先の通りを歩いていると、制服の警官から声をかけられました。

その頃はちょうど「迎賓館ロケット弾事件」(新左翼の中核派が迎賓館を迫撃弾で攻撃した事件)が起きた直後で、警備取り締まりが異常に厳戒となっていた時期、かつ私は黒い大きなバッグを肩に下げていました。

当時、池袋西口公園から徒歩圏内の要町には中核派「前進社」のアジト※があることも私は知っていました。(※窓が全て塞がれていて異様なビル。ひと目で「要塞」と分かります)

 

(いやだな。 面倒くさいことになりそう・・・)

 

警官は高圧的な調子で職務質問を始めました。

 

「あー、君、バッグの中を見せてくれる? 学生さん? 学生証は持ってる?」

「あ、はい。 今出します・・・」

 

私が学生証を取り出そうとバッグのジッパーに手をかけると、警官は私が何か武器を取り出そうとしていると勘違いをしたのか、怖い顔をして警棒を突き出し、怒鳴り始めました。

 

「どこの大学だ? 明治か!? 法政か!?

 

警官のあまりの剣幕に、私はびびって、首を横に振りました。

 

「ち、違いますよ! 上智です。 ほら!」

 

と学生証を見せると、その警官はほっとした顔をして

 

「何だ、上智か・・・じゃあいいや」

 

と、バッグの中身も調べずに解放してくれました。

 

学生運動は絶滅したわけではない

「学生運動」と聞くと1960年代~1970年代のピークの後は衰退したイメージが強いです。

しかし絶滅したわけではないのです。ごく一部の大学のごく一部の学生に限られた形で存続していました。

 

1980年代以降は学生運動が存在するのは、ごく一部の大学のみとなり、それもごく一部の新左翼党派に属する学生に限られた運動となっている場合がほとんどで、大部分の学生とは無縁の存在になっている。

日本の学生運動 ー Wikipedia より引用

 

警察にマークされた大学とノンポリ大学

当時はまだ学生運動の「拠点校(後述)」であった明治大学や法政大学は、過激派テロ事件が起きた際には警察にマークされる対象であったのです。

それに対し上智大学には「ゲバ字のアジ看(=アジテーション看板)」など皆無。

 

▼ゲバ字の例

ゲバ字 – Wikipedia より引用
 

良くも悪くもノンポリ(=nonpolitical / 政治運動に関心がない)学生ばかりと(他大学からは)揶揄されていて、警察もノーマークであったわけです。

 

新左翼(過激派)と大学当局の闘いは継続中

「拠点校」とは、新左翼などの特定党派が学生自治会を事実上乗っ取り、支配下に置いている大学を指します。

1990年代以降は大学当局が反撃に転じ、過激派の締め出しに成功している大学もあります。

 

1990年代後半から2000年代に入ると、長年拠点校にされてきた大学当局は反撃に転じ、早稲田大学から革マル派が、明治大学から革労協が相次いで締め出され、駿河台本校での学園祭は廃止された。

(早稲田にいたっては、大学祭が数年間開催できないと言う事態にまで発展した)。

そして法政大学も中核派を締め出そうとし、現在紛争中である法政大学学生運動の一斉検挙を参照)。

拠点校(学生運動)-Wikipedia より引用

 

明治大学の学生運動のデータが豊富なウェブサイト

1969〜1972 明大全共闘から学館闘争まで
1969年から1972年までの明大全共闘や学生会館闘争、文化部連合会活動を資料で紹介
 

いまだ継続中の法政大学闘争(紛争)

法大闘争の軌跡(2018年版)

池袋西口公園エリアがどう変化するのか楽しみ

バブル以前の時代からこのエリアを見てきた私にとっては、この大改修が更にどれほどの環境変化を起こすのか、とても楽しみです。

また一方ではオンデーズの旗艦店である「池袋西口支店」のすぐ前のエリアになりますので、この環境変化が売上にどのような影響を及ぼすのか、これも楽しみです。

 
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