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新宿西口「ダンボール村」の火災死亡事故は職場の目と鼻の先で起きた

1996年から2年間、新宿駅(東京)の西口地下広場にホームレスのダンボールハウスが立ち並ぶ「ダンボール村」がありました。1998年に火災による死亡事故が発生して解体されるまでずっと、私は朝晩そのエリアを通って通勤していました。

新宿駅西口地下のダンボール村

1996年1月から1998年2月までの2年間、新宿駅西口の地下コンコースの広い範囲がホームレスの段ボールハウスによって埋め尽くされた時期がありました。

通称「新宿西口ダンボール村」と呼ばれたそのエリアは(2019年現在)「新宿駅西口広場イベントコーナー」としてガラスの壁で覆われ、日中は物産展などの催事が行われています。

 
 

ダンボール村の眼の前にある銀行の支店に配属となった

私は1996年4月に富士銀行新宿西口支店へ赴任しました。新宿西口支店は、安田生命本社ビル(現在は明治安田生命新宿ビル)の地下1階から2階に入居しており、ダンボール村とほぼ隣接する場所にありました。

ダンボール村の影響もあり、地下1階の銀行ATMコーナーへの入口は封鎖されて利用できない状態となっていました。

JRの新宿駅の改札を抜けて銀行の職場へ行くためには、ダンボール村の中を通り抜ける必要があります。よって平日の朝晩には必ず、ダンボールハウスの間の通路を通っていました。

下の動画に当時の様子が撮影されています。

 
新宿西口段ボール村 1998

 

火災発生、4名が亡くなる惨事に

さすがに2年近くも通行していれば(独特な匂いには慣れないものの)異様な光景にも慣れてきます。しかしやがてとても違和感のある光景を目にするようになりました。ダンボールハウスの中でカセットコンロを使って鍋で料理をしているのです。上の動画にも少し映っています。

燃焼しやすいダンボールの中で火を使うとか、誰が見ても危険と感じると思います。「大丈夫かな・・・?」と思い始めてしばらくすると、嫌な予感は的中しました。

1998年2月7日(土)の未明に火災が発生し、ダンボール村の住人4名の方が亡くなったのです。2月9日(月)の出勤時に見たものは痛ましい黒い焦げ跡でした。

 
ダンボール村の火災跡 1998.2.7

 

惨事の1週間後、自主退去によりダンボール村は撤去

この惨事の後に、ダンボール村住人及び支援者と東京都で緊急の話し合いが行われ、翌週2月14日に(希望者は都が用意した施設に移ることで)ダンボール村から自主退去したのでした。

 
ダンボールハウス撤去の様子

 

都庁方面へ向かう「動く歩道」はダンボールハウス撤去の歴史

1996年に新宿駅地下西口広場に「ダンボール村」ができる前、ホームレスのダンボールハウスは主に、新宿駅から都庁方面へ向かう通路に沿って並んでいました。

しかし景観を問題視した東京都側が、ダンボールハウスを強制撤去するために「動く歩道」を設置することを決定し、工事準備の名目で立ち退きを命じた結果でした。

 

これらの経緯は下のリンク記事と動画に詳しく説明されています。

新宿ダンボール村の歴史
新宿駅西口地下広場のイベントコーナー。四方をガラス扉によって囲まれた470㎡の空間は、東京都道路整備保全公社によって一日126万円の使用料で貸し出され、連日、各地の物産展や即売...
 
[NEWS] 命を守るために声をあげる 新宿ダンボール村が現在に紡いだもの

 
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