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大相撲の「公傷廃止」制度疲労と八百長問題~結局は自業自得

大相撲の公傷制度が「ずる休みの横行」を問題視して2003年に廃止されたことが、八百長に拍車をかけた要因の1つとなったとする声もあります。ルールにねじ込む「ズルすれすれ」が制度疲労を起こし、自業自得となった例とも言えます。(文中敬称略)

40年前の番付表で見つけた「公傷」と「張出」

小中学生のときは大相撲が大好きでした。朝から1人で蔵前国技館へ行って、ガランとした桟敷席で序二段の取組みから観戦していたほどです。

伯父が佐渡ヶ嶽部屋の後援者だった関係で、錦糸町にあった相撲部屋で、稽古を見学させてもらったり、ちゃんこ料理をご馳走になったりしたことも何度かあります。

私が相撲好きであることを喜んだ伯父は、毎場所の番付表を送ってくれました。(伯父のもとへは佐渡ヶ嶽部屋の親方や力士から大量の番付表が郵送されてくるのです)

クローゼットから出てきた番付表の束

最近になって、そんな番付表が束になった状態でクローゼットの中から出てきたのです。

「懐かしいなー」と手にとって見ているうちに、ちょっと珍しい番付表を発見しました。

昭和55年7月場所の番付表(横綱 若乃花 と大関 貴ノ花 は若貴兄弟ではありません)

番付表の最上段の左端にはみ出している部分があるのに気がつきますか?

前頭の栃赤城の出身地「群馬」の横に「二枚目 公傷」と小さく書かれています。

横綱と三役が3人以上になると「張出」されていた

はみ出した力士の四股名(しこな)が番付の通常枠に外側にあることから、これを「張出(はりだし)」と呼びます。

横綱と三役(大関、関脇、小結)の定数は東西1名ずつの2名であることから、3人以上となる場合は「張出」として扱い、「張出横綱」とか「張出大関」のような表現をしていました。

また実は、一時期においては、公傷制度 で休場した前頭以下の力士も張出としていた時代があったのです。

公傷制度が適用されていたころの一時期には休場した力士は同じ地位の張出とする規定があったため前頭以下も番付表から張り出されたこともあった。

張出 ー Wikipedia より引用

なお、1994年(平成6年)7月場所より、張出はなくなり、枠内に並べて記載されるようになりました。

1994年(平成6年)7月場所より、三役陣に同じ地位に3人以上の力士が出ても欄外へ張り出さず、欄内に連記されることになった。

これはその前の5月場所において序二段が史上最多の東西210枚(420人)となり、力士が多すぎて番付に記入しづらかったためと言われる。

現在の制度としては「張出」は存在せず、例として「関脇・2」「大関・3」や「関脇2枚目」「大関3枚目」などと呼ばれている。

但し、一部の大相撲解説者や好角家(大相撲ファン)などの間では、今も同じ地位で最上位の力士を「正~」、次位以降の力士を「張出~」と呼ぶ場合も存在している。

張出 ー Wikipedia より引用

公傷認定によって翌場所全休しても番付が下がらない

大相撲の「公傷制度」を簡単に説明します。

横綱以外の力士が、本場所の取組において発生したケガを「公傷」と認められた場合に、ケガをした次の場所を休場しても、さらにその次の場所は同じ地位に留まれるという制度です。

1回のケガにつき、1場所までの全休が認められました。

公傷制度が廃止されたのはズル休みが多かったから!?

昭和20年代まで年2~4場所制だった大相撲は、昭和33年(1958年)から年6場所制となりました。

病気やケガをしても従前のように本場所と本場所の間にじっくりと治療することが出来なくなったのです。

現役横綱の急死等を受け1971年から公傷制度を導入

そしてついに昭和46年(1971年)、横綱玉の海が現役のまま病死したのを始め、大怪我をする力士が続出する事態となりました。

すると、翌昭和47年(1972年)1月場所から公傷制度が取り入れられたのです。

公傷制度を申請するものが増え「ズル休み」疑惑も

制度ができた当初は適用ルールが厳しかったものの、特に平成に入ってからは「全治2ヶ月の診断書があれば公傷適用される」という暗黙のルールが噂されるほど、安易な適用が問題化されてきました。

このため、平成15年(2003年)11月場所を最後に公傷制度が廃止されました。

ズル休みが出来なくなって八百長が増えた!?

公傷制度が廃止されて、新たに浮き上がってきたのが「八百長問題」です。

体重の増加、基礎体力の低下や稽古不足等もあってケガをしやすくなっているのに、公傷制度もなくなった・・・

そのため無理することを避けて八百長に走ってしまった力士が増えたのではないかと指摘する声もあります。

実際、八百長問題を受け、平成23年(2011年)に「大相撲新生委員会」が行った検討でも「公傷制度の復活」が課題として挙げられていました。

・・・早速、監察の強化をはじめとする6項目の基本対策をまとめるなど、再発防止策の具体的な検討に入った。

・・・(中略)・・・

このほかに「公傷制度の復活」「携帯電話の本場所への持ち込み禁止」「十両と幕下との待遇格差の緩和」「取組発表の遅延」などについても検討課題として挙げられ・・・

日本経済新聞 2011/3/10 より引用

しかし2019年10月時点で公傷制度は復活していません。日刊ゲンダイに関連記事が出ていました。

“重傷者”だらけの大相撲で「公傷制度」が復活しない理由|日刊ゲンダイDIGITAL
「あれは見苦しい。何とかならないのか」 評論家、識者のみならず、ファンも顔をしかめる。 現在の土俵...

ズルすれすれが制度疲労を起こす

公傷制度の乱用が問題視されていた際には「診断書を都合よく作成してもらう」ことが行われてい可能性も噂されています。

そういった「ズルすれすれ」が公傷制度を(目的と実情がずれて上手く機能しなくなる)制度疲労に追い込み、結果として自業自得な状況へと悪循環を始めたのでした。

これは大相撲だけではなく、どこの企業や組織でも起こりうることなので他山の石としたいです。

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