"破天荒"元銀行員・CFOの頭の中?

第四台場(砲台)だった"天王洲アイル”地名の由来は牛頭天王

スフィアタワー天王洲

東京のウォーターフロント「天王洲アイル」に2016年から通勤しています。今さらながら地名の由来が気になったので調べてみたところ、これまで断片的だった知識がつながって何だかスッキリしました、そこで簡単にまとめてみました。(文中敬称略)

由来は網にかかった牛頭天王のお面

"天王洲アイル"の「アイル(isle=島)」は文字通りで、この場所が小さな島となっているのですぐに分かります。

 

▼東京都品川区東品川2丁目(天王洲アイル)MAP

 

それでは、問題の「天王洲」は?

この場所が海だった時代に「海中から牛頭天王(ごずてんのう)のお面が引き上げられた」という故事に由来しています。

 

牛頭天王(ごずてんのう)≒スサノオノミコト

本来の牛頭天王は”インド祇園精舎の守護神”です。

しかし日本では京都の八坂神社に祭られていて、素戔嗚尊スサノオノミコト)に同一視されているとのこと。

 

本来はインド祇園精舎の守護神だが,わが国では祇園社(京都市東山区の八坂神社)に祭られ,素戔嗚尊(スサノオノミコト)に同一視されている。

祇園社は,貞観18(876)年に藤原基経が疫病を鎮めるために牛頭天王を祭って造営したもので,その祭礼は祇園祭として有名。

仏教の牛頭天王がスサノオと習合したのは,牛頭天王が道教系の武塔神と同一視されていたためで、この武塔神は『備後国風土記』によれば、蘇民将来に一夜の宿を借り、その礼として疫病を免れる茅の輪を与えて「自分はスサノオノミコトである」と名乗ったという。

人々は疫病を恐れ,その祟りを鎮める魔除けの神として牛頭天王(スサノオノミコト)に対する信仰が広まった。

(西條勉) 出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について

コトバンク より引用

 

海から牛頭天王の面を引き上げた

現在の天王洲アイルの場所がまだ海だった時代に、海中から光り輝く牛頭天王のお面が引き上げられたことから「天王洲」と呼ばれるようになりました。

 

天王洲という地名は、この地がまだ江戸湾だった宝暦元年(1751)、舟で渡っていた人間が、海中から光り輝く牛頭(ごず)天王の面を引き上げた、という故事に由来する

民間主導の複合市街地 天王洲アイル より引用

 

凡そ一三〇〇年の昔より、荏原神社の氏子区域である天王洲は、昭和初期までは海でした。

室町時代、霊夢によって海面に神々しい光を放つ牛頭天王(須佐男之神)の御神面がこの地で見つけ出されたことから、御神域として禁漁区となり、京都の祇園祭に倣う神輿洗いの神事がおこなわれるようになりました。

このことから、名もなき海域が天王洲と呼ばれるようになり・・・

荏原神社ウェブサイト>三大祭  より引用

 

故事の年代には諸説あり?

この「海から牛頭天王の面が発見された」時期については、ウェブサイトによって説明に大きな差異があります。

 
 

(ちなみに室町時代は西暦1336年から1573年まで)

東建月報の情報の方が、ピンポイントな年を書いていることから信憑性が高そうです。

 

ペリー黒船対策で築造された第四台場

現在の天王洲アイルの場所は、江戸時代に造られた「第四台場」でした。

台場とは砲台(=大砲などの火器を設置するための台座)のことです。

 

▼砲台の見本

Doricono - 投稿者自身による作品, CC 表示-継承 4.0, リンクによる
 

ペリー艦隊(黒船来航)への危機感から台場築造

江戸時代末期の1853年(嘉永6年)、米国のペリー艦隊が来航して江戸幕府に開国を迫りました

この「黒船来航」に危機を感じた幕府は、江戸湾の湾岸に砲台として「台場」を築造

第四台場として生まれたのが現在の天王洲アイルです。

 

▼品川御台場築造図

東京港埠頭株式会社ウェブサイト より引用 

 

ちなみに、急ピッチで築造が進められた台場のおかげで、1854年にペリーが2度目に来航した際には、品川沖から引き返して横浜から上陸したのでした。

 

品川沖に11基ないし12基の台場を一定の間隔で築造する計画であった。工事は急ピッチで進められ、およそ8か月の工期で1854年にペリーが2度目の来航をするまでに砲台の一部は完成し、品川台場(品海砲台)と呼ばれた。

お台場という呼び方は、幕府に敬意を払って台場に「御」をつけ、御台場と称したことが由来である。

・・・(中略)・・・ペリー艦隊は品川沖まで来たが、この砲台のおかげで横浜まで引き返し、そこでペリーが上陸することになった。台場は石垣で囲まれた正方形や五角形の洋式砲台・・・

お台場 - Wikipedia より引用

 

民間主導による開発プロジェクト

明治時代に入り、台場(砲台)の役目を終えた後の人工州(天王洲)は、造船所が建設された時期を経て、1917年に民間に払い下げされます。

埋め立て事業は1939年に完成。天王洲は一大流通倉庫街となります

 

明治になって、陸軍の管理下で造船所が建設されたのち、1917年に民間に払い下げられ、32年に「天王洲町」と命名された。

その間も埋め立て事業は進められ、完成したのは39年。それから再開発事業が着工する89年まで、天王洲は流通倉庫の集積する準工業地域としての役割を担ってきたのである。

東建月報(東京建設業協会) より引用

 

ごみ積み出し場の構想に対し地権者が一致団結

殺風景な倉庫街だった天王洲の再開発が進んだきっかけは、1984年に東京都が示した「天王洲へ清掃局のごみの積み出し場を移転する」という計画でした。

反対運動を機に結束した地権者が、ごみの積み出し場も加えた開発計画「東品川二丁目(天王洲)マスタープラン」を策定。バブル景気の入口である1986年のことでした。

 

異例な速さのスピード開発

1991年にバブル崩壊。ウォーターフロント開発も計画の見直しや中断が相次ぎます。

しかしながら1989年の「東京MIビル(現在の天王洲ファーストタワー)」着工を皮切りにスタートしていた天王洲の再開発は順調に進みます。

 
  • 1992年にはモノレール羽田線「天王洲アイル駅」が竣工
  • 1996年までには現在のビル群のすべてが竣工
 

結果として天王洲アイルは、民間主導のプロジェクトとしては異例の早さで開発が進められました。

 

スフィアタワー天王洲

2016年※から OWNDAYS が本社を置くビル「スフィアタワー天王洲」は、1993年4月に「三菱商事天王洲ビル」として竣工。 2015年にリニューアルが完成しています。

(※2019年に13階→26.27階へ移転)

 

 
▼スフィアタワー天王洲
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▼スフィアタワー天王洲パンフレットPDF
 

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プロフィール

奥野 良孝 Owndays(オンデーズ)CFO

ヨシオクノ 奥野良孝

OWNDAYS 取締役|
メガバンク~投資銀行
(融資/債権回収/再生)
→脱サラ
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