「死ぬときはたとえドブの中でも前のめりに死にたい」というフレーズ。”坂本龍馬の名言”としてマンガ『巨人の星』の中で数回使われています。
しかし、この言葉は史実にはなく、原作者の梶原一騎が小説『竜馬がゆく』にヒントを得て創作したセリフという説が有力なのです。(文中敬称略)
マンガ『巨人の星』の名言「死ぬときはたとえドブの中でも前のめりに死にたい」
藤圭子に関する記事 宇多田ヒカルの「衝撃デビュー」と藤圭子と星飛雄馬(『巨人の星』)で、私が少年時代から愛読していたマンガ『巨人の星』の影響を強く受けていることを書きました。
実は『巨人の星』には、ビジネス小説『破天荒フェニックス』※1 で人気のフレーズ「倒れるときは前向きに」と近いニュアンスのセリフも登場します。
坂本龍馬の語った名言として『死ぬときはたとえドブの中でも前のめりに死にたい』という言葉が(主人公の)星飛雄馬の生き様となるのです。
このセリフを語るシーンは、長編作品の中で少なくとも3回は登場します。
星一徹(父親)が星飛雄馬に説明するシーン
最初の場面は、シリーズの前半に登場します。プロ野球の巨人軍(ジャイアンツ)に入団した星飛雄馬に対し、父親の星一徹が「飛雄馬の致命的な弱点を発見した」ことを言い渡すシーンです。
『巨人の星(7)』(週刊少年マガジンコミックス) Kindle版 / 講談社/No.24より引用
名投手金田正一の引退会見でプロ根性に感銘を受けるシーン
続いては、物語が終盤に入ったあたり。前人未到の大記録を打ち立てて引退した金田正一投手の引退記者会見で、『黄金の左腕だ!』と星飛雄馬が感動する場面。
『巨人の星(15)』(週刊少年マガジンコミックス) Kindle版 / 講談社/No.116より引用
選手生命を懸けた挑戦を告白するシーン
最後は、物語の最終章に向かうころ。星飛雄馬が、宿命のライバル左門豊作に宛てた手紙の中で、自分の選手生命を懸けた大きなチャレンジを行っていることを告白するシーン。
『巨人の星(19)』(週刊少年マガジンコミックス) Kindle版 / 講談社/No.190より引用
実際には坂本龍馬が語った言葉ではない!?
ところで、マンガの中では「坂本龍馬が語った」とされるこの名言。史実にはありません。もっぱら『巨人の星』の原作者である梶原一騎の創作であるという説が有力です。
更に梶原一騎が「名言を創作する」ヒントを得た元ネタとしては、司馬遼太郎の『竜馬がゆく』であるという仮説が的を射ているように見えます。
司馬遼太郎『竜馬がゆく』に登場する水原播磨介の生き様
該当する場面は「旅と剣」の章です。ある日のこと、水原播磨介(はりまのすけ)という侍の水死体が発見されます。
坂本龍馬は、播磨介が生前に語っていた覚悟を思い出して、「溝(ドブ)や堀に死体が捨てられる覚悟した勇気を持った人物でなければ大きな事はできない」という意味が書かれた漢籍(中国の書物)を引き合いに出しながら、播磨介を「これこそ男だ」「りっぱな男だ」と評しているのです。
『合本 竜馬がゆく(一)~(八)』【文春e-Books】 Kindle版 / 文藝春秋/No.5212~より引用
『竜馬がゆく』の翌年から『巨人の星』の連載開始
司馬遼太郎の『竜馬がゆく』の連載は1962年~1966年。一方の『巨人の星』の連載は1966年~1971年です。
時期から見ても梶原一騎が『竜馬がゆく』にインスピレーションを得たという説は辻褄が合うのです。
読売新聞の記事でも、同じ見解が掲載されています。
・・・その一方で、現代の龍馬像には司馬の影響を受けた創作や脚色が含まれていることも間違いない。「死ぬときはドブの中でも前のめりで死にたい」という龍馬の名言がその一例。昭和の人気アニメ『巨人の星』で星一徹が息子の飛雄馬にこの言葉を教えた場面があり、私の世代にはこの言葉に感動して龍馬好きになった人もいるが、史料や手紙にこんなセリフはない。
原作者の梶原一騎(1936~1987)が、『竜馬がゆく』の中の「志士ハ溝壑ニ在ルヲ忘レズ(志士はいつでもドブに落ちて死ぬか分からない)」という龍馬のセリフにヒントを得て創作した話とみられている。
『巨人の星』の週刊少年マガジンへの連載は、『竜馬がゆく』の新聞連載直後に始まっている。「飛雄馬」という主人公の名前も「人間(HUMAN)・龍馬」から付けられたくらいだから、司馬の影響を受けるのは当然だ。やはり、史料に立ち戻らないと真の龍馬像は見えてこない。
読売新聞オンライン 2018/01/25 教科書に載らない?坂本龍馬を伝説にした“裏の顔” より引用