「結婚式場なんてどこも似たり寄ったり」と思いがちですが、日本初の総合結婚式場である「目黒雅叙園」を見学してみると良いです。友人を招き入れることができない「神前式」挙式をつい選んでしまった理由がわかります。(文中敬称略)
神前式の結婚式には友人関係を招待できない
今日参列した結婚式と披露宴。結婚式はチャペルでウェディングドレスの装いで挙式。ところが披露宴の入場は一転して和装。
つまり新郎が紋付き袴で新婦が打掛というスタイルで、自分にとっては(たぶん初めてのパターン?)新鮮でした。
私の結婚式は、挙式は神前式のため紋付き袴と白無垢。披露宴の前に新婦だけ打掛に着替えて入場するパターンでした。
実は、式場予約の際にはあまり意識をしていなかったのですが、「神前式」の挙式の場合は、結婚式の参列は家族と親戚のみとなります。
友人は参列しません。友人も結婚式に参列してもらってワイワイしたい、だけど着物も着てみたい・・・という場合には、今日みたいなパターンもありなんだなと感心しました。
神前式の挙式を選択したひとつの要因
そもそも私がなんで神前式を選択したのかと言うと、結婚式場の雰囲気で何となく決めてしまった要因も否定できません。
その結婚式場は東京の目黒にある「目黒雅叙園」です。(現在は「ホテル雅叙園東京」ですが、便宜上「目黒雅叙園」と呼びます)です。
モダンながらも、強烈な和のテイストを残すこの「目黒雅叙園」に圧倒されて、深く考えずに「和装で挙式をしたい」と感じてしまったのでした。
ホテル雅叙園東京 ウェディング
目黒雅叙園は「結婚式場」のイメージをくつがえす
目黒雅叙園にひとたび足を踏み入れると、和とモダンが融合した空間に圧倒されます。
「和」を強く感じさせるメインエントランス
まずはメインの入り口から、和を感じさせる大きな屋根がお出迎えします。
雅叙園のシンボル「招きの大門」
私が特に好きなのは、建物の中で強烈な存在感を示している「招きの大門」。
旧・目黒雅叙園の玄関を移築
「招きの大門」は、1991年(平成3年)に全面改築された際に、旧・目黒雅叙園の玄関を移築したものです。
目黒雅叙園のルーツは、創業者・細川力蔵が、東京 芝浦にあった自宅を改築した純日本式料亭「芝浦雅叙園」。
創業当時は、日本料理に加えて北京料理メインとし、お客様に本物の味を提供することにとことんこだわった高級料亭でした。
より多くの人々に本格的な料理を気軽に食べていただくため、1931年(昭和6年)庶民や家族連れのお客様が気軽に入れる料亭として目黒の地に誕生しました。
料理の味はもちろん、お客様に目でも楽しんでいただきたいと考え、芸術家たちに描かせた壁画や天井画、彫刻などで館内の装飾を施しました。
豪華絢爛な東洋一の美術の殿堂はこうして誕生し、2017年(平成29年)4月1日目黒雅叙園からホテル雅叙園東京へと施設名称を変更することとなりました 。
ホテル雅叙園東京ウェブサイト より引用
日本初の総合結婚式場
当時、結婚式場といえば美容室、写真室、神社での挙式を経て、料亭やホテルへ移動するスタイルで、特に雨の日は大変な苦労でした。
花嫁や参列の方たちにかけがえのない大切な一日をゆったりと過ごしていただくため、館内に、神殿・衣裳室・美容室・宴会場を作り、日本初の総合結婚式場としての歴史がはじまったのです。
ホテル雅叙園東京ウェブサイト より引用
季節感あふれるコーディネート
「招きの大門」の手前の「橋」の周辺は、季節によって様々にコーディネートされ、美しくライトアップされます。
招きの大門をくぐれば、全天候型の大空間と庭園
メインエントランスから続く「和があふれる」長い通路を歩き、そして「招きの大門」をくぐると、そこには広大な空間が現れます。
大門をくぐり抜ける前と後の光景のコントラストの差に、当時は感動すら覚えました。
巨大な温室のような窓の外には瀧と、季節によって様相が変わる庭園。
空間の中には、小屋(レストラン)がまるごと収まっています。
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Meguro Gajoen – Tokyo – 目黒雅叙園 – 4K Ultra HD