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インドネシアのジャカルタに次ぐ第2の都市「スラバヤ」も知っておけ

インドネシアの都市と言えばジャカルタが思い出され、実は私はオンデーズの出店が決まるまで「スラバヤ」という都市を知りませんでした。歴史上で重要かつ日本企業の進出も盛んな都市らしいので、エッセンスのみを簡単に書き出してみました(備忘録的なものです)

インドネシアの第2位の都市はどこ?

「2位じゃダメなんでしょうか?」

2009年「事業仕分け」における蓮舫議員の有名な発言。

では、質問。

Q:インドネシアで人口が最大の都市は? A:ジャカルタ

Q:では2番目の都市は? A:・・・あれ? どこだっけ?

きっと多くの人が即答できないと思います。2位ってそんなもんです。1位とは様々な点で雲泥の差がつきます。

 

インドネシアの第2位の都市は「スラバヤ(Surabaya)」です。

経済産業省「医療国際展開カントリーレポートーインドネシア」2017年

 
 

ちなみに、日本からスラバヤへの直行便はありません。(2018年6月現在)

 

小説『破天荒フェニックス』(2020年新春ドラマ化)OWNDAYSがインドネシア進出への足がかりとしたのは、ジャカルタと、このスラバヤだったのです。

 

スラバヤ「英雄の日」にまつわる歴史

スラバヤに係る大きなエピソードが2つあります。

  • スカルノ元大統領の出身地
  • インドネシア独立戦争の舞台

インドネシア初代大統領スカルノの出身地

世界史を知らない「スカルノ」を知らない人も、タレント(?)のデヴィ夫人の結婚相手といえば「ああ、そうか」と思うでしょう。

デヴィ夫人はスカルの大統領の4人の夫人のうちの「第3夫人」でした。

 

インドネシア独立戦争はスラバヤで勃発した

従前からジャワ島東部の政治的、軍事的拠点であり、オランダ植民地時代に商業港として発展しました。

1945年に日本から独立後、港から上陸した英国軍とインドネシア独立派が軍事衝突を起こし、これがインドネシア独立戦争の発端となりました。

その後、インドネシア独立派が占拠したものの、オランダ軍によって再度占領される等、激しい攻防戦が繰り広げられ、最終的には独立を勝ち取りました。

このためインドネシアでは、このスラバヤで英国軍との戦闘を開始した11月10日を「英雄の日」として祝日に定めているのです。

 

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