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私は『富士銀行の犯罪』に書かれている最もバブリーな店舗に入行した

富士銀行(みずほ銀行の前身)市ヶ谷支店は全国レベルで最もバブリーな店舗だった。ルポルタージュ『富士銀行の犯罪』・・・この本に登場する大事件の大半に(私が最初に配属された)富士銀行市ヶ谷支店が関与していました。(文中敬称略)

バブル世代は意外とつつましい

バブル世代の基本定義は「バブル時代に就職した学生」であります。詳しくは別記事 ”バブル世代”の定義を再確認「いつからいつまで?」を図表化してみた をご覧ください。

バブル景気の大波に乗って不動産や株式で一財産を築きお金を湯水の如く使いまくっていたのは、会社の中では中堅以上つまりもっと上の年代です。

バブル世代は、DCブランドの10万円前後のスーツを分割払いで買ったり、クルマなんかは、200万円前後のシルビア程度か、まあ良くて300万~400万円程度のソアラをローンで買ってデートに使う・・・そんな慎ましく見栄を張っていた程度でした。

銀行のバブル度の程度にも現場によって差がある

日本経済はバブル。銀行もバブル。

ただし、支店によって、さらに言えばその支店長のスタンスによってバブル度には差がありました

最初に入ったときの市ヶ谷支店のバブル度は中くらい

私が富士銀行に入って最初に配属されたのは市ヶ谷支店でした。

その市ヶ谷支店のバブル度はどうだったか?

・・・バブル度をバブルサイズと読み替えて、S・M・L で表記するとしましょう。

配属当初の市ヶ谷支店のバブル度はMサイズくらいでした。

支店長交代によって一気にバブル度が増した

これが1989年の半ばに支店長が変わったとたん Mサイズ→9Lサイズ(サカゼンか!)に急膨張したイメージです。

もし日本の金融機関の全営業店をバブル度でランキングしたとしたら、当時TOP3入りは確実ではないか・・・というほどのレベルでした。

どれだけバブリーだったのでしょうか・・・?

ルポルタージュ本「富士銀行の犯罪」

手もとに一冊の絶版本があります。『富士銀行の犯罪』・・・物騒なタイトルです。

『 富士銀行の犯罪 』

なぜ、大蔵省は「富士銀行」の史上最悪の金融犯罪を見抜けなかったのか?

著者:山本峯章(政治評論家)1992年2月 ぱる出版

この本では8つの大きな事件を取り上げています。

第1章: なぜ富士は、大阪府民信組へ協力預金を行ったのか?
第2章: 414億円が消えた「地上げ賃金」の怪
第3章: 闇金融ブローカーと「福助株40万株」紛失事件
第4章:「7000億円不正融資」の経緯とからくり
第5章:「不正融資」がつくり上げたバブルの構造
第6章:「浦臼リゾート開発」の黒い茶番劇
第7章:「橋本蔵相の辞任」とバブルの重いツケ
第8章: 北朝鮮系債権回収屋と富士の「腐れ縁」

4つの重大事件に市ヶ谷支店が関与していた

このうち第4章~第7章の4つの事件に、当時の市ヶ谷支店が(直接または間接的に)関係していました。この本でも市ヶ谷支店が頻繁に登場します。

そしてほとんどの事件が「富士銀行巨額不正融資事件」(通称「富士銀行赤坂支店事件」)に繋がってきます。。

現在この事件を検索しても「赤坂支店を舞台にして総額7,000億円の不正融資が行われた」程度しか見つけられません。

しかしこの本でレポートされているとおり、事件に市ヶ谷支店が大きく関わっていたのは事実です。

渦中の市ヶ谷支店で融資係

新入行員と2年目の時期にこの市ヶ谷支店の融資課にいた私は、支店長席(=支店長と副支店長)に指示されるがままに様々な案件の事務を取り扱っていました。

儲け話に群がる有名政治家、有名芸能人・スポーツ選手、後に逮捕されて有名になった人・・・等々。

事件が発覚してマスコミが押し寄せた!?

一連の事件が明るみに出て、市ヶ谷支店にもマスコミが押しかけたのが1991年7月

この騒動の3ヶ月前に私は別の支店へ異動となり、騒ぎには巻き込まれずに済んでいます。

異動発令時の様子からすると、支店長の意向に反して人事部が強権発動し、(有望な?)新人を避難させてマスコミや警察から守った・・・のではないかとも考えられます。

警察の捜査から新人を守ってくれた上司たち

事件に絡んだ融資関係の書類や稟議書には私の押印があります。

警察は当然に質問してきたそうです。

  

「この奥野ってどういう奴なんだ?」

警察の問いに対し、市ヶ谷支店の元上司たちは、

「いや、こいつは1年生で(裏側は)何もわかっていません」

と防波堤になっていた・・・と後日、聞かされました。

実際、私は一連の事件の奥深い部分はよく知りません。知っていたとしても、もしこんな場所に書いたら、自分の身に何が起きても不思議ではありません

せめて「事件の舞台にいた」記録は残しておくべきだろう

しかし、前述の『富士銀行の犯罪』にも、私の知っている範囲で事実と異なっている内容があります。短期間でよくここまで調べたなと感心はしますが。。

また一方的に富士銀行がとんでもない悪であるかのような書き方でもあります。

事件からもうすぐ30年が経過しようとする中で富士銀行の名前とともに事件も風化しつつあります。

可能な範囲で当時の現場の空気を記録するのも自分の使命かなと思っている次第です。

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