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読売巨人軍の大ファンだった少年がアンチに転じた”江川事件”

2019年プロ野球では読売ジャイアンツが5年ぶりに日本シリーズへ進出。ドラフト会議の話題も重なったこの時期にふと思い出す出来事があります。少年時代に巨人の大ファンだった私がアンチに転じる契機となった「江川事件」です。(文中敬称略)

少年時代は大の巨人ファンだった

読売ジャイアンツの黄金時代の末期で日本シリーズ9連覇(V9)を達成した1973年、私は小学1年生でした。

翌1974年には”ミスタージャイアンツ”長嶋茂雄が引退して監督に就任。

1980年のシーズンに退任するまでの「第1次長島監督時代」は、私の小学生の時代に丸かぶりしたのです。

 

▼読売ジャイアンツのV9の年度と奥野の年齢

巨人V 年度 奥野の年齢
V1 1965年  
V2 1966年 誕生
V3 1967年 0歳
V4 1968年 1歳
V5 1969年 2歳
V6 1970年 3歳
V7 1971年 4歳
V8 1972年 5歳
V9 1973年 6歳
 

ほとんどジャイアンツの情報しか入ってこない

私が小学生の当時、東京でテレビ放送される野球中継は基本的に巨人戦のみでした。

マンガやアニメ主人公はみんなジャイアンツに入団(※1)して活躍します。唯一の例外が水島新司の作品(※2)くらいでしょう。

(※1)『スポーツマン金太郎』『巨人の星』『侍ジャイアンツ』等
(※2)『男どアホウ甲子園』『あぶさん』『ドカベン(プロ野球編)』

 

そんな環境にいたら、当然のように、ほとんどの人がジャイアンツファンとなります。

私もご多分にもれず巨人ファンとなり、毎日”YG”のロゴ入り野球帽をかぶり、草野球に興じていました。

 

江川事件を機に一転してアンチ巨人へ

そんな巨人ファンだった私ではあったものの、ある事件がきっかけで「アンチ巨人」になってしまいました。

1978年に起きた「江川事件」です。

 

巨人が抜け駆けした江川事件

江川事件を簡単に説明します。

”怪物”と言われていた江川卓投手が、1977年(大学4年生)のドラフト会議で1位指名したクラウンライターライオンズ(現在西武ライオンズ)への入団を拒否してアメリカへ野球留学します。

そして翌1978年11月21日、ドラフト会議の前日に電撃的に江川卓と読売ジャイアンツが入団契約を締結しました。

当時の野球規約の抜け穴を突いて「ドラフト会議の前日は自由の身分で、ドラフト外の選手として入団契約可能」と解釈したものでした。

 

当時の野球規約の盲点

江川事件が起きた当時の野球規約の盲点は次の2点です。これにより「空白の一日」が出来てしまったのでした。

  1. ドラフト会議で交渉権を得た球団が交渉できるのは、翌年のドラフト会議の前々日まで
  2. ドラフト対象者は「日本の中学・高校・大学に在学している者」

以上のことから、ドラフト会議の前日の11月21日には西武の交渉権が消滅しており、「日本の中学・高校・大学に在学した経験のある者」をドラフト対象とするのはドラフト会議が行われる11月22日以後であると巨人は解釈し、11月21日時点でドラフト対象外選手である江川と自由に契約できると主張して入団契約を行った。

江川事件 – Wikipedia より引用

 

実は、上記の「盲点」の2については、事件の数ヶ月前に改正がなされていました。しかし発効が次年以降のドラフト会議となっていたのです。

日本野球機構はドラフト対象の範囲を広げるために、1978年7月31日の改正によってドラフト対象選手を「日本の中学・高校・大学に在学した経験のある者」へ改正した。しかし、この新協約は「次回ドラフト会議当日から発効する」ことになっていた。

江川事件 – Wikipedia より引用

 

阪神が1位指名→小林繁とトレードで決着

しかし、セ・リーグの会長は「野球規約の基本精神に反するもの」として、巨人が申請した江川の選手登録を却下。反発した巨人はドラフト会議をボイコット(欠席)します。

読売ジャイアンツ欠席で開催された11月22日のドラフト会議では、阪神タイガースが江川を1位指名して交渉権を獲得しました。

 

その後は1ヶ月以上にわたる「すったもんだ」があった末に、翌1979年1月31日に「江川卓はいったん阪神と入団契約をし、小林繁投手と交換トレードにより巨人へ移籍する」という驚きの発表がなされたのでした。

 

読売ジャイアンツの傲慢さが嫌になった

規約の盲点を突いた「空白の一日」の契約の直後には、巨人のオーナーが「認められないなら、セ・リーグを脱退して新リーグを作る」などと公言(脅し)もしていました。

小学生だった私のショックは大変なものがありました。

子供心にも「ルール違反でなければ何をやっても良いわけではないはず」と思いましたし、人気球団の驕りや傲慢さを強く感じました。

そして、大の巨人嫌いへと変わってしまったのでした。

 

今だから知り得る裏事情に複雑な心境

江川事件の当時の小学生にとっては、テレビや新聞で報じるニュースの概要しか情報源がありませんでした。

事件から40年近く経った現在では、当時は知り得なかった様々な周辺情報に触れることができます。

  • 江川は「何が何でも巨人」ではなく「首都圏の球団」を希望していた
  • 江川は直前まで阪神との金銭トレードだと信じていて、小林繁との交換は寝耳に水だった
  • 巨人にとって小林繁はエース級ながら問題児でもあった
  • 小林繁は藤圭子と交際していた!?
 

多くの情報があったらアンチ巨人にならなかったか?

間接的に聞いた話をもとに書かれた記事もあるし、江川卓本人の口で語られる事実もあります。

しかし、事件の当時にこういった生の声や周辺情報を知る機会があったとしたら、あんなに大好きだった巨人が急に嫌いになることもなかったかもしれない・・・

と、思うこともあるのです。

 

いずれにせよ、失望がアンチに転じる危険というのは痛いほど分かりました。

 
 
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