1988年に亡くなった映画評論家の「佐藤重臣(しげちか)」は、アングラ映画の自主上映に情熱を注ぎ「アングラのジューシン」の異名もありました。佐藤重臣が手がけた伝説の「黙壺子フィルム・アーカイブ」。学生時代に観に行ったことがあるのでその時の話を書きます。(文中敬称略)
黙壺子フィルム・アーカイブとは、1980年代のアングラ映画の自主上映会
黙壺子(もっこす)フィルム・アーカイブは、主に1980年代に新宿で行われていたアングラ映画の自主上映会です。
映画評論家の佐藤重臣が主催していました。
黙壺子フィルム・アーカイブとは、“アングラのジューシン”と呼ばれた映画評論家・佐藤重臣が、主に80年代に新宿で主催していた自主上映会です。
「ピンク・フラミンゴ」を日本で初めて上映し、「フリークス」を発掘上映したことで知られています。
今や伝説となった「アングラ映画の殿堂」
主催者の佐藤重臣は1988年に亡くなってしまいました。そして黙壺子フィルム・アーカイブは”かつてあった”「アングラ映画の殿堂」として伝説化します。
下のツイートは「黙壺子フィルム・アーカイブトリビュート」として2013年に1日限定の復活上映を行った際の案内記事 です。
現在発売中の「映画秘宝」9月号P68にも、インフォメーションが!(なお、誌面の日曜日は間違いです。開催は土曜日です) pic.twitter.com/QcvZFMDvtE
— 黙壺子フィルム・アーカイブ トリビュート (@ludned) 2013年7月24日
特別イベント「黙壺子フィルム・アーカイブ トリビュート」企画者のメッセージ
特別イベント「黙壺子フィルム・アーカイブ トリビュート」に関して、下のリンク先サイトに「企画者のメッセージ」の詳細が載っています。
「〈なにか変な映画〉に執着していた重臣は、やがて、自分の資質を生かす時代にめぐり合った。一九六五年に「映画評論」の編集長になり、アンダーグラウンド映画、演劇の仕掛け人になる。
〈アングラ〉という日本語を創ったのが誰かは知らないが、普及させたのは重臣で、学生反乱の季節とぶつかり、〈アングラ・サイケ時代〉が現出した。マイナー批評家佐藤重臣は、一躍、教祖的存在になる」
(「コラムは笑う:エンタテインメント評判記1983~88」小林信彦・ちくま文庫より)
同じ記事の「企画者のメッセージ」の内容が、この黙壺子の説明としては秀逸です。
- インターネットがある今と違って、ロクな情報がない時代
- 「なんか凄いらしい」という評判だけで恐る恐る観に行ったら本当に凄すぎた
- 短編映画は更にドキドキする
〈黙壺子〉といえば「フリークス」と「ピンク・フラミンゴ」。
今ではサブカル者のマストアイテムかもしれないが、当時はロクな情報もなく「なんか、スゴイらしい」という雲をつかむような評判だけでおっかなびっくり見に行ったら本当にスゴすぎて、脳みそが情報を処理しきれないため何度も見に行くはめになって人生を誤ったひとは数知れず。
と、日本語が変になるほどの体験だったわけだ。実際、雲(古)をつかむわけだし。
この二本はまだいい。一応ストーリーがある長編映画だから。短編には、ピカピカチカチカしているだけとか、グチャグチャなだけとか、エロいだけとか、何が映っているか分からないとか、そんな映画が盛り沢山。
情報誌にはタイトルや監督名は書いていても、映画専門誌にすら満足な情報が載らない時代。人づてのうわさ話だけを頼りに、ドキドキしながら見に行っていたのだよ
黙壺子フィルム・アーカイブ鑑賞記
私は大学時代に、映画好きの先輩から「黙壺子フィルム・アーカイブ」の話を聞きました。
「フリークス(Freaks) 」と「ピンク・フラミンゴ(Pink Flamingos)」の2本立てを観た彼女はその素晴らしさを熱弁します。
ちなみに「ピンク・フラミンゴ」という映画は「史上最悪のお下劣映画」と言われており、私はいまだ見る勇気がありません。。
「フリークス」と「愛の唄」2本立て上映
私は「ピンク・フラミンゴ」の方は敬遠していました。
しかし「フリークス」については映画の本でも目にしたことがあって強い関心がありました。
で、「映画評論」の次号、72年1月号では石上三登志の連載「怪奇城の伝説」第一回が掲載、「フリークス」がスチール写真入りで紹介されている。勿論タイトルは「怪物團」なのだが。 pic.twitter.com/bKaqBVs5pV
— 黙壺子フィルム・アーカイブ トリビュート (@ludned) 2015年8月24日
そこで「フリークス」が上映されるタイミングで黙壺子(もっこす)へ行くことにしました。同時上映作品は「愛の唄」という短編映画でした。
黙壺子フィルム・アーカイブへ行こうと決めたその日、大学の部室に同期の男女二人がいたので、ついでに誘って3人で新宿へ向かいました。1986~1987年頃の話です。
黙壺子フィルム・アーカイブは「自主上映」なので、通常の映画館ではありません。座席はすべてパイプ椅子です。
私と女子が二人並んで座り、もう一人の同期男子が後ろのイスに座りました。
ジャン・ジュネ「愛の唄」に困惑した
最初に上映された映画は、フランスの小説家 ”ジャン・ジュネ / Jean Genet” の「愛の唄(UN CHANT D’AMOUR)」でした。
この映画も監督も、まったく予備知識がないままに鑑賞したわけですが・・・
びっくりしましたね。腰を抜かさんばかりに驚きました。そしてうろたえました。
男性同性愛の映画だったのです。
刑務所の囚人と看守の恋愛を描いた映画です。後に大島渚が「『戦場のメリークリスマス』は愛の唄にインスパイアされた」と公言したというエピソードもあります。
かなり過激な描写がありまして、フランスでもアメリカでは20年以上も上映禁止となっていた問題作です。
(過激でない一部分だけ)JEAN GENET’S UN CHANT D’AMOUR
私は目のやり場に困りながら、隣の席の女子の様子を探りました。とりあえず落ち着いて観ている感じがして「女の子はこういうの大丈夫なのかな?」と思いながらも、そっとバッグからノートとペンを取り出しました。
そして『自分が観たかったのは次の映画。もし嫌ならば帰っても構わないよ』とメモを書いて、彼女に渡しました。
彼女から戻ってきたノートには『帰り道がわかんない。大丈夫だよ』と書いてあったので、とりあえず25分間のその短編”同性愛”映画を見続けたのでした。
史上最大の問題作? 「フリークス」
決してテレビで放送されることはない。しかし今や知名度は抜群の「フリークス」。
この映画を発掘上映したのも、黙壺子フィルム・アーカイブでした。
Freaks (1932) – The Living Torso and Schlitze Scene (4/9) | Movieclips
*******************
ところで、黙壺子フィルム・アーカイブを初体験した3人はどうなったかと言うと・・・
帰りに新宿のお好み焼き屋に入って、
「・・・何だかなー」
「・・・色々と考えさせられる映画だよなー。。」
と、ため息交じりの、かつあまりディープな話にも展開しない微妙な空気感で食事をしていたのでした。
ジョナス・メカス・・・アメリカにいたアングラ映画上映の先達
日本で佐藤重臣がアングラ映画の自主上映に情熱を捧げていたのと同様に、アメリカでも果敢に自主上映に挑んでいた人物がいます。
”ジョナス・メカス / Jonas Mekas” です。
前述のジャン・ジュネ「愛の唄」を自主上映して逮捕および有罪判決まで受けています。
埋もれかけたフィルムに脚光を当てる彼の活躍は、ネットの記事に詳細に書かれています。
〜逮捕されてもいいから。埋もれかけたフィルムを映写機にかけた。
「逮捕されることは承知のうえでした。それでも上映しました」。
ドラァグクイーンやゲイカルチャーを盛り込んだ『燃え上がる生物(ニューヨークのアングラアーティスト、ジャック・スミス監督)』と、刑務所の看守と囚人の恋愛を描いた『愛の唄(仏ジャン・ジュネ監督)』。
60年代当時、上映禁止だったセンセーショナルなアバンギャルド映画をメカスは個人上映し、執行猶予の判決を受けたのだ。
「大勢に見せるわけでもなければ子どもの目に晒すわけでもない。なのに上映禁止なんて間違っている。だから規制なんて無視した」
HEAPS – 商業映画時代、たった一人の“奇行”。ウォーホルも導いた「インディペンデント映画の父」ジョナス・メカスの半世紀 より引用
【追記】ジョナス・メカスは2019年1月23日、96歳で亡くなりました。
情報に溢れる現代では、もはや経験できない体験かも
インターネットの発達により必要以上に情報が入ってくる今の時代、黙壺子フィルム・アーカイブのようにドキドキしながら映画を観に行く体験はもうできません。
便利になるのと引き換えに失われてしまった文化の一つです。(゜o゜;