二松学舎(にしょうがくしゃ)のキャラクター「ねこ松」に興味をひかれた
「夏目漱石も二松學舍で学んだニャ」
通勤電車のドア脇のポスター広告にふと目が留まりました。いわゆる「ゆるキャラ」が大学の広告に登場してつぶやいているのです。
北総線の車内に附属高校と附属柏中学・高校のポスターが貼ってあるニャ! 乗った人、気付いたかニャ~? そしてその ポスターの真ん中には吾輩が…(*≧∇≦*)
北総線は、京成線や都営浅草線にも乗り入れてるから、乗車したら、ぜひ確認してみてニャ~❣️#二松学舎大学 #ねこ松 #北総線 #ポスター pic.twitter.com/BVvicHApMa— ねこ松(二松學舍公式キャラクター) (@nekomatsu_nisho) 2018年6月26日
「大学のオリジナルゆるキャラ」も興味深いですが、私は「夏目漱石が二松学舎に関係している」という事実も知りませんでした。
二松学舎といえば高校野球の強豪校として名前を知るくらい。
そして二松学舎に強い関心を抱いたわけです。ある意味では大変なパワーを持ったポスターです。
「ねこ松」の誕生は2017年7月
調べてみると、二松学舎の公式キャラクター「ねこ松」は、創立140周年記念事業の一環として、2017年7月に誕生しています。二松学舎の中学~大学にデザイン案を公募し選ばれたとのこと。
キャラクターのベースが「猫」であるのは、言わずもがな「夏目漱石」の小説の代表作『吾輩は猫である』にちなんでいます。
松は学校名「二松学舎」の松から来ています。そもそもの学校名は『二本の松の木』にちなんだものです。
二松の名は不変の節操、堅貞を象徴する松の木が庭に二本あったこと、また韓愈『藍田県丞庁壁記』によれば学び舎としての意味を持ち、学舍として後の世まで続くことを願い名付けられた
Wikipediaー二松学舎大学 より引用
なぜ二松学舎が夏目漱石ゆかりの学校なのか? については後ほど触れます。
ゆるキャラ採用のきっかけはくまモンか?
ねこ松が誕生する以前の二松学舎には熊本の大人気キャラクター「くまモン」が現れて話題になっていました。
実は、熊本は夏目漱石が濃密な4年3ヶ月を過ごしたゆかりの地なのです。
夏目漱石は1896年(明治29年)、旧制第五高等学校(現在の熊本大学)の英語教師として愛媛県松山市から熊本に赴任しました。
漱石ゆかりの地というと松山が浮かびますが、漱石は松山には1年足らずしか住んでいません。
一方、右の年譜(クリックすると拡大表示します)の通り、熊本での暮らしは1896年(明治29年)4月から1900年(明治33年)7月まで、4年3か月に及びます。
夏目漱石ゆかりの縁から、くまモンが二松学舎の学園祭に応援にきたり、「くまモン感謝祭」を二松学舎の施設で開催しました。
facebookの写真の一覧を眺めてみると、くまモンが二松学舎に何度かやってきた年とそれ以前の年では、目を引く「華やかさ」が全然違います。
ゆるキャラのアイキャッチ効果を認識した学校側が独自キャラクターの採用を検討したのはくまモン効果によるものと推測できます。
著名人が名前を連ねる、二松学舎の歴史
漢学塾としてスタートした二松学舎の歴史には、数々の著名人が名前を連ねます。
夏目漱石はおよそ1年在籍して学んだ
二松学舎のウェブサイトによると、夏目漱石(本名・夏目金之助)は、
・明治 14(1881)年4月、当時漢学塾だった二松学舎の門を叩いた
・明治 14年7月に第3級第1課を、同年11月に第2級第3課を卒業した漱石が在籍していたのは、わずか1年ほどだったが、多感な少年時代に二松学舎で培った漢詩文の知識と教養は、文豪のその後の人生に大きな影響を与えた。
嘉納治五郎(柔道の講道館設立者)も学んだ
柔道の講道館を設立した人物として有名な嘉納治五郎は、明治11(1878)年に二松学舎塾生となっています。
舎長(理事長)に渋沢栄一、吉田茂
二松学舎の舎長(理事長)にも著名人の名前があります。
- 第三代(1919年) 渋沢栄一(実業家)
- 第五代(1963年) 吉田茂(元内閣総理大臣)
二松學舍大附属高校は夏の甲子園に出場
2018年夏の第100回高校野球。東東京代表は二松学舎大学附属高校に決まりました。2年連続の甲子園出場となります。
その母体の二松学舎は、漢学塾から始まった、重厚な歴史を持つ学び舎(まなびや)だったのでした。