富士銀行が隆盛を誇った時代の象徴かもしれない、東京杉並区にあった「済美山グラウンド」。この広大な運動場はいまや東京都立の「和田堀公園」の一部に組み込まれて再利用されています。(文中敬称略)
銀行危機に伴い処分されたグラウンド
「かつての銀行では行内のスポーツ行事が盛んに行われた。このため広大なグラウンドを保有していたものの、金融システム危機により処分してしまった」という趣旨をツイートしました。
銀行が広大な競技場やグラウンドを保有していたのは、行内スポーツ競技のためだったわけです。そんな不動産も金融システム危機で売却→東京の国立市の一等地にあった野球2試合を同時に行える広大なグランドも住宅地となってしまいました。
— ヨシオクノ🌤️奥野良孝 (@YoshitakaOkuno) 2019年5月6日
ツイートで触れている「東京都国立市の富士銀行社宅とグラウンド」については、過去記事 超穴場!”0系新幹線”展示「国分寺ひかりプラザ」は国立駅から徒歩7分 に当時の地図を載せて紹介したことがあります。
国立グラウンドの他に、東京都杉並区と埼玉の岩槻にグラウンドがありました。ここでは東京都杉並区にあったグラウンドについて書きましょう。
富士銀行におけるスポーツの重要拠点「済美山運動場」
銀行のスポーツ行事で東京近郊の行員が主に利用したのは「済美山(さいびやま)運動場」(東京都杉並区堀ノ内)でした。
地下鉄丸の内線「方南町」と京王井の頭線「永福町」の両方の駅から歩いて行ける便利な場所にありました。また駐車場のスペースも広くあったため、マイカーでやって来る行員も多かったです。
この場所には宴会場もある大きなクラブハウスと、ランニングトラック、野球場、テニスコート、バレーボールコート等があり、ほとんどの行内スポーツ行事は済美山で行うことができました。
陸上の長距離種目で日本記録を持っていた「片岡純子」さんも、富士銀行の陸上部に所属時にこの済美山で練習していたと聞いています。
現在は都営の公園の一部に
この済美山グラウンド、現在は東京都へ売却されて、隣接する「和田堀公園」の第二競技場として利用されています。
銀行保有時代にあったテニスコート等は公園広場と遊具に生まれ変わり、今では競技スペースは陸上トラックしか残されていないようです。
しかしながら立派な公園となった現状の広さを見れば、往年の銀行の隆盛っぷりを少しは感じ取れるかもしれません。