9月23日は漫画界の巨匠「藤子・F・不二雄」の命日です。オバケのQ太郎とドラえもんを読みながら育った私にとってはとても感慨深い日です。今や世界的人気キャラクターとなったドラえもん。そのスタート時から一緒に成長した私たちは、実は「ドラえもん」第一世代なのです。(文中敬称略)
藤子不二雄のマンガで育った子供時代
1996年の9月23日、漫画家の「藤子・F・不二雄」が亡くなりました。もう22年(2018年現在)ですか・・・。
自分はAとかFとかを間に入れる呼び方に全く慣れませんので「藤子不二雄」と呼ばせていただきます。
藤子不二雄の「ドラえもん」は、私が小学校に入るころにスタートしました。
1973年(6-7歳時)「ドラえもん」初期版をリアルに観ていた
ドラえもんのアニメが最初にテレビ放送されたのは1973年で私は6-7歳でした。
記憶では、日曜日の早朝に放送されていたので、家族の中で真っ先に起床して一人でテレビにかじりついて観ていました。
主題歌はおなじみの曲とは違います。「ぼくは、ドラえもーんだ。道を歩ーけばー♪」みたいな歌。
大好きでした!! しかし半年程度で放送は終了してしまったのです。
1974年(7-8歳時)に「ドラえもん」コミックが発売
翌年の1974年には「てんとう虫コミックス」から単行本が発売されたので、親におねだりして買ってもらいました。
自宅から駅に向かう道に中間に一軒だけあった小さな本屋さん。店主のブックカバーの端の処理が折り紙みたいで毎回見惚れていました。
ワクワクしながら家まで大事に抱えて帰って・・・マンガ本一冊にあれほど興奮することはもう無いでしょう。
いったいこの「ドラえもん」6冊をどれだけ読み返したのか? もう見当がつきません。
寝床に入ってもこっそり豆電球の明かりで読んでいたり・・・近視になったのはそのせいかもしれません。
最初のテレビ放送は制作会社の解散で打切り
最初のテレビ放送があっという間に終了してしまった理由は、後にWikipediaの説明で知りました。
制作会社が解散して打ち切り終了となったとのこと。
1973年に日本テレビ動画の製作で最初のテレビアニメ化がされ、約半年間放送された。
本作は対象年齢が低かったため、視聴率は現在と比較して決して高くはなかったものの、3クール目の放映続行が決まりかけたとき、制作会社が解散し、打ち切り終了となった。
翌1974年春には原作の漫画連載も最終回として「さようならドラえもん」が描かれたが作者藤本の愛着もあり、翌月「帰ってきたドラえもん」が描かれ原作の方は継続され、後の二度目のテレビアニメ化につながることとなる。
ドラえもん – Wikipedia より引用
新オバケのQ太郎はドラえもんの直前
「オバケのQ太郎」の第一次ブームは1960年代の半ば。1971年~1973年に「新オバケのQ太郎(=新オバQ)」として新たに連載されました。
私はこの「新オバQ」世代です。
”元祖”オバQと”新”オバQの大きな違いは、「O次郎」(Q太郎の弟)が登場したことです。
▼下の表紙の絵の左側がO次郎(右は妹のP子)
「新オバQ」はオバケの国へ帰っていたオバQが弟のO次郎を連れて帰ってくるシーンから始まります。
ドラえもんと合わせてこのオバQもボロボロになるまで繰り返し読んでいました。
最初に所有したマンガ単行本は「マジンガーZ」
ちなみに、私が一番最初に所有したマンガの単行本は永井豪の「マジンガーZ」でした。
小学1年生のときにクラスメートから誕生日プレゼントでもらったものです。
あしゅら男爵(=体の向かって右半分が男、左半分が女)のシャワーシーンなんかもあって、小1の子供にはかなり刺激的な内容でした (゜o゜;